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言葉の進化?

「親愛的爹地,媽咪」って文章をみて???
もしかして爹地は英語のダディ?媽咪はマミー?
台湾ではこう言う言い方をするのかしら?面白いな。

それから、チュウゴクでもAppleのファンは多いそうですが。
「苹果粉」と言うそうです。粉という字がイマイチあやふやですが。
ワタシが知っているファンをさす言葉は「迷」
だから、Apple推しのことは中国語で「苹果迷」と思い込んでた。
こんなの辞書に書いてないと思うので、もし何かの機会にそういう言葉を使う羽目になったら間違いなく「苹果迷」と言っていたでしょう。
聞いた人は「古くせー」と思うかもしれません(笑)
Twitterでも普通に使われているので、きっと定着した言い方なんだろうな。

随想録総序

週に1編程度を目安として随想録を訳そうか。
日本語に注意して、意味を租借しながらというのが目標で、あわせて不明点は明らかにしつつ。
石上韶氏が訳した筑波書房の随想録(5巻)も参考にして、正確な訳文と表現について考える。

総序は短いけれど随想録を書くに当たっての巴金の決意表明のような文章と思われます。
10年間の空白(文化大革命)で奪われた時間を取り戻すためにこの文章を書く。
その場、その場の自分の感想を記録するだけの物で系統だってもいないが、意味のあることを書いてゆく。
無力ではあるけれど、一つの叫びとして「百家争鳴」に参加しようと言っている。

このときの百家争鳴は1957年ごろのチュウゴクで比較的自由に物がいえた時代の事。
その後、反右派闘争で弾圧されることになる。
この時期に名誉を奪われた人たちの名誉が回復するのが、この文章がかかれた1978年。
そういう意味で「百家争鳴」に参加しようというのは明るいもののようにも見えるけれど、これまでのチュウゴクの方向転換を知る巴金は大きな降り戻しがあることも予感してるようにも思われる。

今は読み方がまだ浅いけれど、読み進めるうちに深まってゆくことを期待して。
時代背景なども調べたい。これも、無理して深く掘り下げるというよりは、やっていくうちに見えてるくるのを期待する。

音読はがっつり読むわけではないが、ある程度スムーズに読めるまでに持っていく。

そういうわけで、CCTVは週4編は無理なので2編程度を目標としたい。
読了の期限があるわけではないので、無理をせず、日常生活に差し障らない範囲で読んでゆく。
ブログ記事で、いくらか支離滅裂なところも見えるかもしれないけど、これが自分の実力と背伸びすることなく進める。


追記(2013/3/30):一篇一記事にして読み進めていくうちに変更したい点を追記で更新する。参考にするものは、この際wikiのようなものも取り入れる。(時間的に図書館に行ったり原典をあたったりするのが難しいので。調べるために時間を空けるのではなく、身近にあるもので良しとする)

巴金的随想録手稿本

http://www.ato-shoten.co.jp/newweb/sas/ml/10096798.php

これを見つけて欲しくなったけど、20000円もするんでは、買えないなぁ。

CiNiiで大学図書館にないか調べたら。

東京大学、京都外語大学、弘前大学のみ・・・。

・・・名古屋にない。

見てみたいけど、ダメみたい。

注目点としては、現在出ている人民文学出版社のものと内容の差異はあるか。
推敲のあとはあるか・・・というところ。


あけましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくおねがいします。

あまり更新されない当ブログですが、今年もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

標点符号について

時務報と清議報の標点符号についての発表を聞いて。

時務報(1896.8.9~1898.8.8)中国で創刊
戊戌の政変勃発後日本に亡命(梁啓超)
清議報(1898.12.23~1901.12.21)日本で創刊

この間の清議報と時務報の文体の違いについての調査。
日本に渡ったことで日本の標点符号に影響を受けたのではないか、ということと黄遵憲から厳復への提案が変化をもたらしたのではないかということ。
「至严复函」(1902年)

発表を聞いての感想

中国から日本に渡るまでの期間が短いので、清議報の前半と後半での文体の違いだけを見ても良かったのではなかったか。
1918年、新青年で銭元同が「句读符号」について書いているが、その文章に影響は無かったか。

作品の比較について興味があるので、どれをターゲットにしてみるのか、自分の中で精査する。
巴金の比較については、焦点が自分の中で定まらなかったので、結果的に空中分解して最後まで出来なかった点を反省したい。

春暁について比較した発表を見たときは、限定して「花」と「鳥」だけを見ていたのを参考にしたい。
自分の中で焦点がはっきりしていないと、散漫になる。

以上、覚書。
将来、巴金の比較に使える材料と参考にする。

平成24年11月17日研究会参加

11月18日、研究会に参加してきました。
吉田富夫先生の講演の覚書。

1997年3月16日 初めて莫言と会う。(北京)
大きい男と言う印象。
賈平凹の「廃都」(吉田先生訳)を渡して自己紹介する。
この作品を渡したのには狙いが有り、莫言にとっては意識している作家の一人であるとの思いから。
豊乳肥臀の版権をゆずってもらう。

1998年3月16日 西安に入り、20日~22日に莫言の故郷であり作品の舞台でもある高密県訪問。
1998年9月3~4日 莫言と会う。あわせて、史鉄生(1951年1月4日 - 2010年12月31日)とも会う。

1999年 豊乳肥臀出版。翻訳にあたって、原文にはない解説を挿入する。
     →章立ても新たに入れる。(翻訳に苦心した点)
    【私の翻訳でもこの点は共通して使った。翻訳に当たって、どの程度原文に沿うのか、補足は何処まで許      されるのか、ということについて一つの答えであると考える】

吉田先生は莫言その人(?)もしくは作品と自分の人生が重なって見えたといわれた。→自分にしか出来ない訳。
方言については吉田先生の言葉となっている広島弁を適度に入れるスタイルにした。(その後の作品も)
【方言の訳し方についても私には迷いが多く、この点については翻訳作品の「訳者あとがき」などで触れていれば、気をつけて見るようにしている】

京都に呼び、講演を企画する。
『世界 2000.1』
高密県にあるすべての物が題材になる。(モネの睡蓮と同じ)

★余談
「幸福時光」(至福の時)を出版するに当たって、日本語訳のために手書きの序文を依頼。
原稿用紙の余白に「あなたの言いつけにしたがって、これを書きました。私が大作家になったら、これは文物になるでしょう」という冗談が書き留めてある。
執筆のスピードは非常に速いらしい。

莫言の作品のテーマの推移。
発想:酒国【翻訳:藤井省三】
一族:豊乳肥臀【翻訳:吉田富夫】お母さんがモデル
作品として:白檀の刑【翻訳:吉田富夫】7・5調で訳す。「茅盾文学賞」にはノミネートすらされていない。

四十一炮(2003)独白の手法
生死疲労(2006)【邦題:転生夢現】1950~現代中国の比喩。旧小説の仕立て。講談調に訳す。
蛙は大陸出版前に邦訳を依頼された。


・・・・以上

神保町めぐり

昨日・今日とムスコと東京に行ってきました。
・・・とはいっても、ムスコはムスコで会いたい人ややりたいことがあるらしく、ほとんどが別行動。
行き帰りの新幹線と、宿泊のみ同じでした。
で、私は一人で何をしたかというと、神保町で本屋めぐり。
神保町は古書町として有名だし、中国好きは多分一度はお世話になっている東方書店もあります。
東方書店の斜めむかいには内山書店も。
それらを楽しみに行ってきました。

JRだったので御茶ノ水駅から明治大の前を通って神保町にでました。
明治大学のあたりは楽器屋さんが多くて、なんでここに楽器屋?と。
秋葉原が電気街で神保町が本屋街であるのと同じで、楽器街か?などと思いながら通り過ぎ。
あとは何故かカレー屋がやたらと多かった。
これも、何か理由でもあるのでしょうか。

そんなことを思いながら三省堂書店の裏手のすずらん通に向かいました。
それにしても東京は北京で言ったら胡同・名古屋の閑所みたいな小道が多く、そこを覗くと昭和の香り満載の喫茶店や食べ物屋さんが何件もありました。
道の外まで本を出しているので、本屋の前には何人か物色する人が必ずいる感じ。
なんとも面白い町です。

今回の目玉は北京地図。・・・といってもただの地図ではありません。現在の地図であれば、昨年訪中した際に免費で手に入れた地図があります。
今回、手に入れたのは民国17年と23年のもので、当時はまだ北京ではなく北平(べいぴん)と呼ばれていました。我ながら変なものを購入したと思います。。。ってか、その場になるまで、これを買うなんて思ってもいなかった。これを眺めているだけで、当分楽しめそうです。

それから購入はしませんでしたが、内山書店で「のだめカンタービレ」の大陸版と台湾版が売っているのを見ました。
のだめって「野田妹」と言うんですね~。
野田はそのまま、「め」を「MEI」と音訳かつ意訳したんでしょう。
なかなか面白いと思いました。

そんな感じでゆっくり冷やかしつつ見て回りました。
ただ、休日は休みのお店もありました。
残念でしたが、しかたありません。

みどり多文化交流会

今日は緑区役所にイベントのボランティアにいってきました。

ボラの通訳の仕事は内容の説明よりも(日本語が出来る人が多いので)会場をブラブラして中国の人を見つけたら「楽しんでる?」などと声を掛けて回るみたいな感じです。
説明も日本語で聞けるから日本語でもOKなんだけど、むしろ、こういうちょっとしたことを自分の母国語で言われると喜んでくれるようです。
そういうわけで私も一緒に楽しんできました。

最後にブラジルの音楽(サンバ)を演奏してくれたのですが、ブラジル人の人達が自然と踊っていたのに結構感動しました。
日本人には音楽を聞いたら身体が自然と動く、というのはDNAに書かれていない、と思いました。(沖縄の人はそうではないみたいですが)

以前、お世話になった医療通訳ボラのブースもあって、久し振りにそこの関係者の方とお話ができました。
数年前にNTTデータとの仕事で医療相談の電話ガイダンスの吹き込みと翻訳をしましたが、今でも立派に稼動しているそうです。(本人はすっかり忘れてました)
自分の声が自分の知らないところで一人歩きしているのは、けっこう恥ずかしいものがあります。もし修正するならやらせてください、とお願いしました。。。ってか、出来るならやりなおしたい(笑)
電話をかけたら、今でも数年前の自分の声(しかも機械的に合成された文章で)が流れるなんて、タイムスリップした感じで変な感じですから。

今日の名古屋は雨で非常に寒かったのに、沢山の方がきてくれました。
ボラで参加された方、お疲れ様でした。

ブログとツイッターとFB

私が最初にネット上に雑文を書き散らかすことを思いついたのは2005年くらいのことです。
(以前はMSNのサービスをつかっていました)
そのころはプライベートで近しい人との別れ(実際に分かれるわけではなく引越しで遠くに行ったりした)がいくつかあり、いつの間にか疎遠になるのもなぁ、と思っていました。
そこで、ネット上に自分の居場所があればそこで交流ができるなぁ、と思ったことと、普通ではお付き合いできないような方とお話が出来たりするかも、という下心(笑)でした。
さらに中国や中国文学に興味があったのでそういう趣味を同じくする人と意見交換などができるのもいいなぁ、とか、そういう理由でした。

やっていくうちにお知り合いになった人の中には今でも交流のある人が何人もできましたし、反対にいつの間にか疎遠になった人もいます。でも、そのゆるいお付き合いが私にとっては心地よく、この7年間を実り多いものにしてもらったのも事実です。

最近、ツイッターやFBというSNSが出てきました。
ツイッターは匿名(といってもブログとFBと連動していれば匿名もなにも無いような気がしますが)で140文字ですけど気楽に物がいえるの良いと思います。
思いついたことをそのまま言えます。

FBはかなりリアルに近いです。ツイッターとFBを組み合わせれば、ブログを始めた頃の目的は大抵果たせそうな気がします。

でも、私にとってはブログも大事なツールです。
やはりブログに書くときは構成も少しは考えます。
その分FBやツイッターよりも時間がかかりますし、落ち着いた時でないとなかなか更新できませんが、より自分と向き合うにはブログが良いような気がします。
そんな感じで3つのツールを使い分けて楽しみたいと思います。

新しい環境

年末から新しい職場に行き始めました。
12月21日からの出勤で、年末年始休みを挟んでいるので、一瞬間フル出勤するのは明日からが初めてです。
(会社は祝日も原則出勤)

今度の職場は本社ではないので、事務所に10人程度。
ほとんどが営業ですので、昼間は事務である私ともう一人だけになることが多いです。
人数が多いと、他の人の仕事のリズムにあわせないといけませんから、何となく時間のメリハリがつくのですが、少人数だと集中するといつの間にか時間が過ぎていたりします。
あとは前職の場合、お昼のほかに朝と3時にお茶を出すことになっていましたので、それがいい区切りになっていたような気がします。

今回はそういうものもないので、自分で意識的に時間を区切ってメリハリをつけて仕事をしないと、流されてしまいそうな気がするので、少しづついろいろそろえようと思っています。

まずは卓上の時計。
これは前職に入ったときに会社からもらったものです。人間の形をしていて、顔の部分が時計になっています。
これを電話の横(前職の机でも、ここが定位置でした)において、常に時間が分かるようにしました。
PCの時計が自分にとっては見やすくていいのですが、今の職場では一人1台PCが支給されていないので・・・。
まったくこれだけは本当に不便で仕方ありません。

次に、飲み物。
タバコを吸う人はこれで区切りをつけているようです。
一応、事務所内分煙ですから。
でも私はタバコを吸いませんので、手元の飲み物を一口でも飲むことで、区切りをつけます。
それで、スタバなんかによくある保温できるボトルを買いました。
スタバ仕様のボトルは密閉性が無いらしいですが、今回購入したのはふたをキッチリ閉めれば水筒のように持ち歩けます。
もう少し慣れれば、自分用にインスタントコーヒーでも置こうかと思っているのですが、今のところまだ出来ません。
その水筒に花茶もしくはウーロン茶の茶葉をいれて、中国人の様にお湯を継ぎ足しながら一日の飲み物にしました。

お昼はお弁当。これまでは家に戻っていたのですが、もう無理ですのでお弁当を持っていくことにしました。
人が少ないのでお昼も事務所を空にすることが出来ないからです。
そのお弁当が困り物です。とりあえず、いまのところ、おにぎりです。
初めてお弁当を持って行った日は、作る時間もないので梅干おにぎりが2個でした(涙)
ムスコのお弁当が始まれば、自分の分も少しはマシになるかもしれませんが、今のところこんな感じです。
事務所から出ないと、一人になる時間がないので、周りの人とのおしゃべりや仕事の話で終わってしまいそうです。
私もそういうのの大切さも理解できますが、毎日それでは・・・。
自分なりの息抜き方法を考えた方が良さそうです。

こんな感じで、まだ環境を自分のものに出来ていません。
人間関係はまったく問題ないのですが・・・これについては後日書きたいと思います。

その仕事をしながら、平日も、これまで通り少しは本を読む時間とか勉強する時間が取りたい。
これまでは拘束時間が9時~17時。
通勤時間は10分でしたので、大体8時間30分の拘束時間でした。
今は通勤時間合わせて11時間程度拘束されています。
一日の残り時間は13時間。
家事は一日4時間程度として、残り9時間。
睡眠が・・・恥ずかしながら私はロングスリーパーなので6~7時間寝ないと駄目なようで、残り2~3時間。

そうなると自分の時間として使えるのが2時間が限度、ということになります。
・・・2時間か・・・。
この2時間を有効に使うために、家事を含めた拘束時間に上手く息抜きが出来るように自分をコントロールしたいです。

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