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標点符号について

時務報と清議報の標点符号についての発表を聞いて。

時務報(1896.8.9~1898.8.8)中国で創刊
戊戌の政変勃発後日本に亡命(梁啓超)
清議報(1898.12.23~1901.12.21)日本で創刊

この間の清議報と時務報の文体の違いについての調査。
日本に渡ったことで日本の標点符号に影響を受けたのではないか、ということと黄遵憲から厳復への提案が変化をもたらしたのではないかということ。
「至严复函」(1902年)

発表を聞いての感想

中国から日本に渡るまでの期間が短いので、清議報の前半と後半での文体の違いだけを見ても良かったのではなかったか。
1918年、新青年で銭元同が「句读符号」について書いているが、その文章に影響は無かったか。

作品の比較について興味があるので、どれをターゲットにしてみるのか、自分の中で精査する。
巴金の比較については、焦点が自分の中で定まらなかったので、結果的に空中分解して最後まで出来なかった点を反省したい。

春暁について比較した発表を見たときは、限定して「花」と「鳥」だけを見ていたのを参考にしたい。
自分の中で焦点がはっきりしていないと、散漫になる。

以上、覚書。
将来、巴金の比較に使える材料と参考にする。

平成24年11月17日研究会参加

11月18日、研究会に参加してきました。
吉田富夫先生の講演の覚書。

1997年3月16日 初めて莫言と会う。(北京)
大きい男と言う印象。
賈平凹の「廃都」(吉田先生訳)を渡して自己紹介する。
この作品を渡したのには狙いが有り、莫言にとっては意識している作家の一人であるとの思いから。
豊乳肥臀の版権をゆずってもらう。

1998年3月16日 西安に入り、20日~22日に莫言の故郷であり作品の舞台でもある高密県訪問。
1998年9月3~4日 莫言と会う。あわせて、史鉄生(1951年1月4日 - 2010年12月31日)とも会う。

1999年 豊乳肥臀出版。翻訳にあたって、原文にはない解説を挿入する。
     →章立ても新たに入れる。(翻訳に苦心した点)
    【私の翻訳でもこの点は共通して使った。翻訳に当たって、どの程度原文に沿うのか、補足は何処まで許      されるのか、ということについて一つの答えであると考える】

吉田先生は莫言その人(?)もしくは作品と自分の人生が重なって見えたといわれた。→自分にしか出来ない訳。
方言については吉田先生の言葉となっている広島弁を適度に入れるスタイルにした。(その後の作品も)
【方言の訳し方についても私には迷いが多く、この点については翻訳作品の「訳者あとがき」などで触れていれば、気をつけて見るようにしている】

京都に呼び、講演を企画する。
『世界 2000.1』
高密県にあるすべての物が題材になる。(モネの睡蓮と同じ)

★余談
「幸福時光」(至福の時)を出版するに当たって、日本語訳のために手書きの序文を依頼。
原稿用紙の余白に「あなたの言いつけにしたがって、これを書きました。私が大作家になったら、これは文物になるでしょう」という冗談が書き留めてある。
執筆のスピードは非常に速いらしい。

莫言の作品のテーマの推移。
発想:酒国【翻訳:藤井省三】
一族:豊乳肥臀【翻訳:吉田富夫】お母さんがモデル
作品として:白檀の刑【翻訳:吉田富夫】7・5調で訳す。「茅盾文学賞」にはノミネートすらされていない。

四十一炮(2003)独白の手法
生死疲労(2006)【邦題:転生夢現】1950~現代中国の比喩。旧小説の仕立て。講談調に訳す。
蛙は大陸出版前に邦訳を依頼された。


・・・・以上

神保町めぐり

昨日・今日とムスコと東京に行ってきました。
・・・とはいっても、ムスコはムスコで会いたい人ややりたいことがあるらしく、ほとんどが別行動。
行き帰りの新幹線と、宿泊のみ同じでした。
で、私は一人で何をしたかというと、神保町で本屋めぐり。
神保町は古書町として有名だし、中国好きは多分一度はお世話になっている東方書店もあります。
東方書店の斜めむかいには内山書店も。
それらを楽しみに行ってきました。

JRだったので御茶ノ水駅から明治大の前を通って神保町にでました。
明治大学のあたりは楽器屋さんが多くて、なんでここに楽器屋?と。
秋葉原が電気街で神保町が本屋街であるのと同じで、楽器街か?などと思いながら通り過ぎ。
あとは何故かカレー屋がやたらと多かった。
これも、何か理由でもあるのでしょうか。

そんなことを思いながら三省堂書店の裏手のすずらん通に向かいました。
それにしても東京は北京で言ったら胡同・名古屋の閑所みたいな小道が多く、そこを覗くと昭和の香り満載の喫茶店や食べ物屋さんが何件もありました。
道の外まで本を出しているので、本屋の前には何人か物色する人が必ずいる感じ。
なんとも面白い町です。

今回の目玉は北京地図。・・・といってもただの地図ではありません。現在の地図であれば、昨年訪中した際に免費で手に入れた地図があります。
今回、手に入れたのは民国17年と23年のもので、当時はまだ北京ではなく北平(べいぴん)と呼ばれていました。我ながら変なものを購入したと思います。。。ってか、その場になるまで、これを買うなんて思ってもいなかった。これを眺めているだけで、当分楽しめそうです。

それから購入はしませんでしたが、内山書店で「のだめカンタービレ」の大陸版と台湾版が売っているのを見ました。
のだめって「野田妹」と言うんですね~。
野田はそのまま、「め」を「MEI」と音訳かつ意訳したんでしょう。
なかなか面白いと思いました。

そんな感じでゆっくり冷やかしつつ見て回りました。
ただ、休日は休みのお店もありました。
残念でしたが、しかたありません。

みどり多文化交流会

今日は緑区役所にイベントのボランティアにいってきました。

ボラの通訳の仕事は内容の説明よりも(日本語が出来る人が多いので)会場をブラブラして中国の人を見つけたら「楽しんでる?」などと声を掛けて回るみたいな感じです。
説明も日本語で聞けるから日本語でもOKなんだけど、むしろ、こういうちょっとしたことを自分の母国語で言われると喜んでくれるようです。
そういうわけで私も一緒に楽しんできました。

最後にブラジルの音楽(サンバ)を演奏してくれたのですが、ブラジル人の人達が自然と踊っていたのに結構感動しました。
日本人には音楽を聞いたら身体が自然と動く、というのはDNAに書かれていない、と思いました。(沖縄の人はそうではないみたいですが)

以前、お世話になった医療通訳ボラのブースもあって、久し振りにそこの関係者の方とお話ができました。
数年前にNTTデータとの仕事で医療相談の電話ガイダンスの吹き込みと翻訳をしましたが、今でも立派に稼動しているそうです。(本人はすっかり忘れてました)
自分の声が自分の知らないところで一人歩きしているのは、けっこう恥ずかしいものがあります。もし修正するならやらせてください、とお願いしました。。。ってか、出来るならやりなおしたい(笑)
電話をかけたら、今でも数年前の自分の声(しかも機械的に合成された文章で)が流れるなんて、タイムスリップした感じで変な感じですから。

今日の名古屋は雨で非常に寒かったのに、沢山の方がきてくれました。
ボラで参加された方、お疲れ様でした。

ブログとツイッターとFB

私が最初にネット上に雑文を書き散らかすことを思いついたのは2005年くらいのことです。
(以前はMSNのサービスをつかっていました)
そのころはプライベートで近しい人との別れ(実際に分かれるわけではなく引越しで遠くに行ったりした)がいくつかあり、いつの間にか疎遠になるのもなぁ、と思っていました。
そこで、ネット上に自分の居場所があればそこで交流ができるなぁ、と思ったことと、普通ではお付き合いできないような方とお話が出来たりするかも、という下心(笑)でした。
さらに中国や中国文学に興味があったのでそういう趣味を同じくする人と意見交換などができるのもいいなぁ、とか、そういう理由でした。

やっていくうちにお知り合いになった人の中には今でも交流のある人が何人もできましたし、反対にいつの間にか疎遠になった人もいます。でも、そのゆるいお付き合いが私にとっては心地よく、この7年間を実り多いものにしてもらったのも事実です。

最近、ツイッターやFBというSNSが出てきました。
ツイッターは匿名(といってもブログとFBと連動していれば匿名もなにも無いような気がしますが)で140文字ですけど気楽に物がいえるの良いと思います。
思いついたことをそのまま言えます。

FBはかなりリアルに近いです。ツイッターとFBを組み合わせれば、ブログを始めた頃の目的は大抵果たせそうな気がします。

でも、私にとってはブログも大事なツールです。
やはりブログに書くときは構成も少しは考えます。
その分FBやツイッターよりも時間がかかりますし、落ち着いた時でないとなかなか更新できませんが、より自分と向き合うにはブログが良いような気がします。
そんな感じで3つのツールを使い分けて楽しみたいと思います。

新しい環境

年末から新しい職場に行き始めました。
12月21日からの出勤で、年末年始休みを挟んでいるので、一瞬間フル出勤するのは明日からが初めてです。
(会社は祝日も原則出勤)

今度の職場は本社ではないので、事務所に10人程度。
ほとんどが営業ですので、昼間は事務である私ともう一人だけになることが多いです。
人数が多いと、他の人の仕事のリズムにあわせないといけませんから、何となく時間のメリハリがつくのですが、少人数だと集中するといつの間にか時間が過ぎていたりします。
あとは前職の場合、お昼のほかに朝と3時にお茶を出すことになっていましたので、それがいい区切りになっていたような気がします。

今回はそういうものもないので、自分で意識的に時間を区切ってメリハリをつけて仕事をしないと、流されてしまいそうな気がするので、少しづついろいろそろえようと思っています。

まずは卓上の時計。
これは前職に入ったときに会社からもらったものです。人間の形をしていて、顔の部分が時計になっています。
これを電話の横(前職の机でも、ここが定位置でした)において、常に時間が分かるようにしました。
PCの時計が自分にとっては見やすくていいのですが、今の職場では一人1台PCが支給されていないので・・・。
まったくこれだけは本当に不便で仕方ありません。

次に、飲み物。
タバコを吸う人はこれで区切りをつけているようです。
一応、事務所内分煙ですから。
でも私はタバコを吸いませんので、手元の飲み物を一口でも飲むことで、区切りをつけます。
それで、スタバなんかによくある保温できるボトルを買いました。
スタバ仕様のボトルは密閉性が無いらしいですが、今回購入したのはふたをキッチリ閉めれば水筒のように持ち歩けます。
もう少し慣れれば、自分用にインスタントコーヒーでも置こうかと思っているのですが、今のところまだ出来ません。
その水筒に花茶もしくはウーロン茶の茶葉をいれて、中国人の様にお湯を継ぎ足しながら一日の飲み物にしました。

お昼はお弁当。これまでは家に戻っていたのですが、もう無理ですのでお弁当を持っていくことにしました。
人が少ないのでお昼も事務所を空にすることが出来ないからです。
そのお弁当が困り物です。とりあえず、いまのところ、おにぎりです。
初めてお弁当を持って行った日は、作る時間もないので梅干おにぎりが2個でした(涙)
ムスコのお弁当が始まれば、自分の分も少しはマシになるかもしれませんが、今のところこんな感じです。
事務所から出ないと、一人になる時間がないので、周りの人とのおしゃべりや仕事の話で終わってしまいそうです。
私もそういうのの大切さも理解できますが、毎日それでは・・・。
自分なりの息抜き方法を考えた方が良さそうです。

こんな感じで、まだ環境を自分のものに出来ていません。
人間関係はまったく問題ないのですが・・・これについては後日書きたいと思います。

その仕事をしながら、平日も、これまで通り少しは本を読む時間とか勉強する時間が取りたい。
これまでは拘束時間が9時~17時。
通勤時間は10分でしたので、大体8時間30分の拘束時間でした。
今は通勤時間合わせて11時間程度拘束されています。
一日の残り時間は13時間。
家事は一日4時間程度として、残り9時間。
睡眠が・・・恥ずかしながら私はロングスリーパーなので6~7時間寝ないと駄目なようで、残り2~3時間。

そうなると自分の時間として使えるのが2時間が限度、ということになります。
・・・2時間か・・・。
この2時間を有効に使うために、家事を含めた拘束時間に上手く息抜きが出来るように自分をコントロールしたいです。

年越しの事件

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨晩、ムスコから「帰りの夜行バスに乗り遅れそう」との連絡がありました。
朝、バスがつくころに迎えにいこうと思っていた私は半分うとうとしながら紅白をみていましたが、その電話でいっぺんに目が覚めました。

乗り遅れたら、どうするつもり?、と聞くと。
駅で夜を明かして始発で帰る、という返事。

そこまでは判断できているみたいだけど、少し慌てているみたいだったので、こちらからバス会社に電話をしてバスの出発状況を確認しました。
すると残念ながら、すでに出発していました。
経由地もないことから、もうバスは諦めなければいけません。

再度、電話をしてお金に余裕はあるのかと聞くと、「ある」という答えだったので、以前泊まった事のあるビジネスホテルに電話をしました。
そうしたら幸運なことにシングルだったら2部屋空いているとのこと。
値段の確認をして内容をメールしました。

「前に泊まったホテルに2部屋空きがあるらしい。できればちゃんとしたところで休んで、明日朝ゆっくり帰ってきなさい」

そのメールを見た息子たちはホテルに行き、無事にチェックインを済ませたとの連絡が入りました。

・・・あぁ、とりあえず一安心。。。というところで紅白も終わり年が明けていました。

新年しょっぱなからやらかしてくれたムスコ。
なんだか、今年一年を暗示しているような・・・という考えを振り切って、今年も一年頑張りたいと思います。

年末のご挨拶

本年も本ブログにお越しくださり、ありがとうございました。
お世話になった皆様、ありがとうございました。

本年は地震があったりいろいろ大変だった方もいらっしゃるかと思います。
私は地震の影響は直接は無かったのですが、余波みたいなもので少なからず影響がありました。

そんななか良かったことは、新しい職場が決まったこと。
仕事にはまだ慣れませんが、時間が解決することですので、会社の人との人間関係も含めて一日一日の積み重ねだと思っています。

あとは、少しだけ勉強以外で中国語との関わりができるようになりました。
これも焦らず、一歩一歩進めてゆきたいと思います。

来年の抱負みたいなものを少し・・・。
とにかく新しい仕事環境に慣れて、自分のリズムを早く取り戻したいです。
何か新しいこと・・・と言っても、もう新しいことはいいかな。
これまでどおり、自分のペースで勉強して、仕事して家事をして・・・淡々と毎日が送れれば、それでいいかな、と思っています。

では来るべき新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさんに取りまして、良い一年となりますよう、お祈り申し上げます。


女43歳の転職

今日で有給も消化でき、明日は半日出社すれば今の契約は終了、あさってから新しい会社に出社します。
私にとって初めて(といってもいいくらい)の就活でした。
新卒のときはバブルで全く苦労しませんでした。
その後はバイトだったので、応募したところにすぐ決まる、というパターンでした。
よい機会なので、改めてこの半年間のことを記録しておこうと思います。

現職(明日で終わる)のは半年契約の契約社員でした。
この会社では7年ほどお世話になり、アルバイトから契約社員。
大きな不満もありませんでしたし漠然とこのまま行くんだろうなぁと思っていましたので、8月の契約時に「今回限りで」といわれたときは、大きな驚きでした。
それでも最初はあまり実感も無く、でも事実は理解していましたので、次を探さなきゃ、という焦りばかり先にたっていました。

このときにやったことは、インターネットで応募の出来る転職サービスへの登録でした。
履歴書と職務経歴書を入力しました。
最初は何をポイントにしてよいのかも分かりませんでしたので、思いつくままに入力して作成しました。

そこから私の就職活動が始まりました。
私は・・・どこか「夢を食べて生きている」というようなところがあって、悪く言えば浮世離れしている部分があります。
また、新卒で総合職で働いていたこともあって、子供の手が離れたら総合職で仕事をしたい、中国語も生かしたいなど希望はいろいろありました。
ただ心の片隅では無理かもなぁ、という気持ちもどこかにあって、これまでやってきた営業事務もしくは一般事務にも応募と両方していました。

結果・・・。総合職関係はほとんど速攻で「お祈りメール」が届きました。
また、一般職(女性をターゲットとしている転職サイトで応募)関係も11月中旬までは書類すら通りませんでした。
すこし感じたのは事務関連はブランクOKが多く、年齢としては30台前半の女子を狙っているなぁ、というのがありました。
年齢で切られてはどうしようもありません。
それから、Word・Excel入力さえできればOKというのがほとんどで、43歳の私をわざわざ採用するメリットは無いように感じました。
つまり、いくら私が「中国語OKですよ」「Accessも多少できますよ」と強みを言った所で、求められない仕事ならば仕方ないのです。
しかも、両方とも学校で習ったものではないので、実績としてはあまり意味があるとは思えませんでした。

11月末までは面接をしてもあまり前向きな話が出ることはありませんでした。
そのときは気がつきませんでしたが、面接をするにしてもある程度絞っているので、あった瞬間「これはダメだ」と思われたら後ろ向きの話しかしないのかもしれません。
つまりこちらを試すような言い方のように思えました。

そして派遣という働き方を考え始めたのもこの頃です。
派遣であればある程度「中国語」や「Access」をキーワードに仕事をすることが出来ることも分かってきました。
時給もそれなりに良かったので、正社員がダメだったらこちらも視野に入れようと派遣会社に登録をしました。
派遣会社の反応は良かったです。
現職(明日で終わる会社)に入るときも派遣会社に登録したのですが、当時とは全く扱いが違いました。
当時の方が7つも若かったのに。
派遣会社では私の経歴と能力(と言っていいのかわかりませんが)を重宝がってくれましたし、引き合いも実際ありました。
いざとなったら・・・という選択肢が増えたことは自分自身の余裕につながったのは間違いないです。

その余裕がそうさせたのか分かりませんが、職務経歴書で「私は、こんなこともあんなことも出来ます」というような、前のめりな書き方を改めました。
そのときは「今までやってきたことを理解してもらえないなら書いてもしょうがない」という気持ちでしたが、結果的に一歩引いた姿勢が採る側・自分双方にとって良かった様です。
あと、考え方としてお世話になれる会社は1社なんだから、内定は複数必要ない、と割り切ったこともありました。

気持ちの余裕ができたことで、周りを冷静に見わたせるようになりました。
そのほか、入社出来る時期が迫ってきたことも良いほうに働いたと思います。
3社とも急募でとにかくすぐに働ける人を探していましたし、実際、中途で取り立てて特徴が必要でない職種につく場合、「1週間後にはいけます」ぐらいの人を求めているようです。

結果的にその後3社から内定をもらい、明後日から行く会社にお世話になることにしました。

内定をもらった中から、会社を選ぶ決め手となったのは「長く続けるに無理の無い通勤時間と現実的な仕事内容」に尽きました。
家族も口では「仕事に最大限、協力する。残業が多くても休日出勤があっても大丈夫」といってくれていましたが、ずっとそれが出来るか、というとちょっと疑問がありました。
私自身、時間的にも能力的にも背伸びしながらする仕事だったら、家事との両立はきついだろうな、ということが分かってきましたので、それで決めました。

それから、これまでと大きく違ったのは「何も中国語にこだわる必要はない」ということです。
もちろん、翻訳は続けていきますし、希望が変わったわけではありません。
ただ期限を決めてやらなくても続けていれば自然と道が開けることもある、自分だけがしゃかりきにならなくても、周りの状況も変化する、ということが実感として分かってきて焦りがなくなりました。

それは、とある翻訳会社に呼ばれて行ったとき、ありのままを実績として理解してくださったことがあります。
本を訳したこと、ボランティアがほとんどだけど、数年前の扱いとは全く違いました。
派遣会社でも、自分のしてきたことを重宝がってくれて、若いときとは違う感じをうけました。
何と言ったらよいか・・・つまり、自分のやってきたことは今は役に立たないかもしれないけど、あながち間違っているわけでもなかったと思えたことも大きいです。
このまま続ければ、(どんなものか分からないけど)何かの花が咲く、と思えました。

また、先のことをあれこれ考えても願ったとおりになるとは限りません。
毎日毎日をなんとか暮らしていく、というのが生活なんだと思います。
幸い、家計は夫が支えてくれていますので、私は家族の健康を守りながら、自分に出来る範囲での責任を社会で果たせたらいいなぁ、という現実的な道を選ぶことにしました。

これが正しかったかどうかも分かりません。
とにかく一日一日と思ってやっていくつもりです。
私は私なのですから、今出来ることをキチンとしていれば、必ず良いご縁があると思った就職活動でした。

今となれば、この半年は自分と向き合う良い機会になったと思います。

東京の旅二日目

10時ごろ家について、やっと落ち着いたところです。
今日も引き続き、東京の旅。

昨日よく歩いたからか、朝から足が痛くて仕方なく、疲れが取れていませんでした。
チェックアウトギリギリの10時ごろまでホテルで、ウダウダしました。
ムスコは早々に秋葉原に旅立ち。
新日本橋のビジネスホテルでしたので、本人曰く「歩く」と。
確かに地図を見ると歩けない距離ではなさそうでした。

少し遅れて私も出発。
東京駅のコインロッカーに荷物を入れて、お昼ご飯で落ち合うために秋葉原に。
少し時間があったので、ぶらぶらしようと思ったのですが、とにかく足が棒のようになってしまったのと、人の多さにうんざりして、駅近くの本屋さんで立ち読みをしながら待ちました。
お昼を食べたら幕張に移動するという息子とお昼。
彼と別れてしまったら、用事も無いので、丸の内の三菱一号館美術館で「ロートレック展」を見ようと思って山手線に乗りました。

そしてまた、東京駅をうろうろ。
本当に東京は交通機関が大変です。とにかく駅が広い。
名古屋の感覚で駅を歩いていると完全に読み違えます。
どこまで行ってもたどり着けないと、不安にもなります。地下道でも少し寂しいところもあるし。
話が前後しますが、名古屋について新幹線から桜通線に乗り換えたとき、しみじみと「やっぱり乗り換えはこれくらいの距離がいいな」と思いました。

そして丸の内。
すごくおしゃれな街で私はちょっと場違いな感じ。
三菱一号館のあたりはまるで別世界のようでした。
そして、「ロートレック展」を見ようと思って入ったところ、早稲田大学の「中国人留学生と新劇展」のチラシを見つけてしまいました。
これは早稲田まで行くしかない。
さっきまで足が棒になっていて、観光には全く気持ちがなくなってしまっていたのですが、目的が出来れば動けます。

そういうわけで初めての早稲田大学。
開催場所は演劇博物館でした。
時期は清末~だと考え、ちょうど私の興味のある頃にぴったりはまります。
雑誌「新青年」にも戯曲が掲載されて無かったかな。
島村抱月らとの交流もあって、昨日の辛亥革命展ほどではありませんが、とても興味深くみました。
同時に「日活向島と新派映画の時代展」もやっていました。
両方とも家でもう一度よくみてみたい気持ちがあって、図録を購入しました。
演劇博物館自体は無料。
他にも日本の演劇史の展示品がありましたが、こっちは不勉強なのであまり興味もそそられず、サラッとみて帰りました。

それにしても今回、さすが東京はいいなぁ、と思ったのは昨日の黒田清樹記念館や今日の演劇博物館や・・・よいものが無料で見られたりすることです。
私が知らないだけかもしれませんが、名古屋だったら無料では見られないと思いますし、これほどの著名人を身近に感じることも少ないかもしれません。
歴史をたどるなら京都、と思っていたけれど東京もいいなぁ、と思いました。
でも、やはり東京は広く大きい。
京都くらいの大きさだったら名古屋とあまり変わらないので、距離感もつかみやすいし、交通機関も使いやすい。
東京は人も多く交通機関も入り組んでいるうえに駅が広く、私の想像を超えるところが多かったので少し疲れます。
今回、もっといろいろと回れると思っていたのですが、体力的にちょっと無理でしたので、また機会があったら仕切りなおして回りたいと思います。
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