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中国のキンドル本を購入するには?(結局ダメみたい)

【FBと記事のコピーです】

久し振りにAmazon中国で本を物色。3冊ほどピックアップして購入手続きをしたら送料が相変わらず莫迦みたいに高い!
本3冊の価格が1000円足らずなのに対して、送料が5000円くらい。
1冊2000円と思えば、こんなもんか、という気もしないでもないけれど、定価知っちゃうとな。
中国書籍を扱う他の本屋では取り扱い価格に既に中国からの送料もしくは手数料などを添加しているのか、やっぱり変わらない程度の価格設定になってました。

そういうわけで、次に考えたのは電子書籍での購入・・・だったんだけど、我がiPadにはダウンロードできません、ときた。
どうしたら買えるんだろう、と思ってグーグル先生に聞いてみました。
まず、キンドルのアプリを日本用と中国用とに分けなければならない(紐付けされるアカウントが違うため)
・・・が、iOSの仕様で1ユーザーでアカウントの違うアプリは入れられない(第一のハードル)
では、端末を変えて(キンドルかネクサスなど)Amazon中国のアカウントでアプリを入れることにしたら?・・・中国大陸、香港、マカオ、台湾、アメリカ、カナダ、タイに住所があるアカウントと利用できない(第二のハードル)

まぁ、そう頻繁に買うわけでもないとはいえ、残念。
大げさだけど、ネットにも国境があったか、と思った次第。
他の国のAmazonはどうなんでしょうね。例えばアメリカなんか。利用したことのある人、教えて。

《随想感》 日译本序

すこし内容が前後するが筑摩書房の日本語訳は日本語版への序文が冒頭に書かれていたので、本文に入る前にそれについて取り上げようと思う。

随想録5集の中の「真話集(第3集)」に77番目として入っている。
ここに挿入されているのは、筑摩書房から日本語版を出版したいとの話が出たタイミングが、随想録・探索集の2冊がすでに中国で出版済みであったことに理由があると思われる。
しかも最初は、日本の読者に向かっての序文については身体の具合が悪く、執筆が困難であるから遠慮したいとのことを翻訳を同意した手紙に述べたと書いている。

しかし、日本の読者に自分の意図が正しく伝わるかどうかを心配し、自分の心を取り出して見せることが必要であるとの結論に達し、序文を書くことにしたとしている。

これは私の単なる印象なのだけれど、自分の心を取り出して見せるために序文を書く、という発想自体が不思議な気がする。
なおかつ、自分の体調も万全でないときに一旦断った文章を改めて書くことにする、それを本集の1篇として組み入れることはあまり例の無いことと思われる。
思うに、日本語訳のため、と言いながら今後10年の大災厄を知らない時代の人にも宛てて書いているのではないかとも考えられる。

77番目の本編として組み入れたことはこの作品の編集上意味があったことなのかもしれないし、単なるタイミング的偶然かもしれないけれど、全編のほぼ真ん中あたりで改めて

「私は素手で文壇に乗り込んだのではない。作家にとってより大切な芸術的良心を持ってである。『随想録』は、とりもなおさず、その証人になることができる、と。」

このように表明することで、結果的にこの作品の位置づけを改めてはっきりさせたようにも思われる。
さらりと書いているように思うけれど、随想録について聞きかじった知識を総動員すると、この文章でもいくつか引っかかる部分は無いでもない。
思い込みに過ぎるかもしれないので、漠然としたまま持っていて、今後の楽しみとする。

今週、ちょいちょい調べている過程で見つかったのが、「巴金と読者」(河村昌子氏)の論説文。
CiNiiで公開されていました。

今更のように巴金全集の目録をまとめておいたほうがよさそうだ的な考えになって、全26集に何処に何が収録されているかを見てみようと。
最初はスマホのカメラで目次を写真に撮影して取り込んでいたのですが、なにせ26冊。
うんざりしてきたので、試しでネットで検索してみたら百度で見つかりました。
とりあえず、それをEvernoteに保管して覚えとすることにしました。
(購入時に自分で手書きでまとめたのですが、捨ててしまったかして、ありませんでした)
あぁ、本当に便利な道具が次々と出て来てくれました。

今回取り上げた日本版序文は全集17巻の序跋集に収録されているかと思って探したけれど無く。
そういえば「家」の場合は本文と同じ巻に全ての序が収録してあったことを思い出して、改めて随想録本編に戻ってみました。
そのときに、全集全てをひっくり返して序跋集が収録されている巻を探すと言う莫迦なことをしてしまいました。
(←準備は大切)
ただ、これも思い込みですが巴金というひとは序跋を非常に重視して作品に対する自分の考えを丁寧に書いている人という印象があるので、序跋集も資料として参考にしたい。
特に「家」の序は興味深く読みました。

さて、来週から本編に戻りたいと思います。

言葉の進化?

「親愛的爹地,媽咪」って文章をみて???
もしかして爹地は英語のダディ?媽咪はマミー?
台湾ではこう言う言い方をするのかしら?面白いな。

それから、チュウゴクでもAppleのファンは多いそうですが。
「苹果粉」と言うそうです。粉という字がイマイチあやふやですが。
ワタシが知っているファンをさす言葉は「迷」
だから、Apple推しのことは中国語で「苹果迷」と思い込んでた。
こんなの辞書に書いてないと思うので、もし何かの機会にそういう言葉を使う羽目になったら間違いなく「苹果迷」と言っていたでしょう。
聞いた人は「古くせー」と思うかもしれません(笑)
Twitterでも普通に使われているので、きっと定着した言い方なんだろうな。

随想録総序

週に1編程度を目安として随想録を訳そうか。
日本語に注意して、意味を租借しながらというのが目標で、あわせて不明点は明らかにしつつ。
石上韶氏が訳した筑波書房の随想録(5巻)も参考にして、正確な訳文と表現について考える。

総序は短いけれど随想録を書くに当たっての巴金の決意表明のような文章と思われます。
10年間の空白(文化大革命)で奪われた時間を取り戻すためにこの文章を書く。
その場、その場の自分の感想を記録するだけの物で系統だってもいないが、意味のあることを書いてゆく。
無力ではあるけれど、一つの叫びとして「百家争鳴」に参加しようと言っている。

このときの百家争鳴は1957年ごろのチュウゴクで比較的自由に物がいえた時代の事。
その後、反右派闘争で弾圧されることになる。
この時期に名誉を奪われた人たちの名誉が回復するのが、この文章がかかれた1978年。
そういう意味で「百家争鳴」に参加しようというのは明るいもののようにも見えるけれど、これまでのチュウゴクの方向転換を知る巴金は大きな降り戻しがあることも予感してるようにも思われる。

今は読み方がまだ浅いけれど、読み進めるうちに深まってゆくことを期待して。
時代背景なども調べたい。これも、無理して深く掘り下げるというよりは、やっていくうちに見えてるくるのを期待する。

音読はがっつり読むわけではないが、ある程度スムーズに読めるまでに持っていく。

そういうわけで、CCTVは週4編は無理なので2編程度を目標としたい。
読了の期限があるわけではないので、無理をせず、日常生活に差し障らない範囲で読んでゆく。
ブログ記事で、いくらか支離滅裂なところも見えるかもしれないけど、これが自分の実力と背伸びすることなく進める。


追記(2013/3/30):一篇一記事にして読み進めていくうちに変更したい点を追記で更新する。参考にするものは、この際wikiのようなものも取り入れる。(時間的に図書館に行ったり原典をあたったりするのが難しいので。調べるために時間を空けるのではなく、身近にあるもので良しとする)

巴金的随想録手稿本

http://www.ato-shoten.co.jp/newweb/sas/ml/10096798.php

これを見つけて欲しくなったけど、20000円もするんでは、買えないなぁ。

CiNiiで大学図書館にないか調べたら。

東京大学、京都外語大学、弘前大学のみ・・・。

・・・名古屋にない。

見てみたいけど、ダメみたい。

注目点としては、現在出ている人民文学出版社のものと内容の差異はあるか。
推敲のあとはあるか・・・というところ。


あけましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくおねがいします。

あまり更新されない当ブログですが、今年もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

標点符号について

時務報と清議報の標点符号についての発表を聞いて。

時務報(1896.8.9~1898.8.8)中国で創刊
戊戌の政変勃発後日本に亡命(梁啓超)
清議報(1898.12.23~1901.12.21)日本で創刊

この間の清議報と時務報の文体の違いについての調査。
日本に渡ったことで日本の標点符号に影響を受けたのではないか、ということと黄遵憲から厳復への提案が変化をもたらしたのではないかということ。
「至严复函」(1902年)

発表を聞いての感想

中国から日本に渡るまでの期間が短いので、清議報の前半と後半での文体の違いだけを見ても良かったのではなかったか。
1918年、新青年で銭元同が「句读符号」について書いているが、その文章に影響は無かったか。

作品の比較について興味があるので、どれをターゲットにしてみるのか、自分の中で精査する。
巴金の比較については、焦点が自分の中で定まらなかったので、結果的に空中分解して最後まで出来なかった点を反省したい。

春暁について比較した発表を見たときは、限定して「花」と「鳥」だけを見ていたのを参考にしたい。
自分の中で焦点がはっきりしていないと、散漫になる。

以上、覚書。
将来、巴金の比較に使える材料と参考にする。

平成24年11月17日研究会参加

11月18日、研究会に参加してきました。
吉田富夫先生の講演の覚書。

1997年3月16日 初めて莫言と会う。(北京)
大きい男と言う印象。
賈平凹の「廃都」(吉田先生訳)を渡して自己紹介する。
この作品を渡したのには狙いが有り、莫言にとっては意識している作家の一人であるとの思いから。
豊乳肥臀の版権をゆずってもらう。

1998年3月16日 西安に入り、20日~22日に莫言の故郷であり作品の舞台でもある高密県訪問。
1998年9月3~4日 莫言と会う。あわせて、史鉄生(1951年1月4日 - 2010年12月31日)とも会う。

1999年 豊乳肥臀出版。翻訳にあたって、原文にはない解説を挿入する。
     →章立ても新たに入れる。(翻訳に苦心した点)
    【私の翻訳でもこの点は共通して使った。翻訳に当たって、どの程度原文に沿うのか、補足は何処まで許      されるのか、ということについて一つの答えであると考える】

吉田先生は莫言その人(?)もしくは作品と自分の人生が重なって見えたといわれた。→自分にしか出来ない訳。
方言については吉田先生の言葉となっている広島弁を適度に入れるスタイルにした。(その後の作品も)
【方言の訳し方についても私には迷いが多く、この点については翻訳作品の「訳者あとがき」などで触れていれば、気をつけて見るようにしている】

京都に呼び、講演を企画する。
『世界 2000.1』
高密県にあるすべての物が題材になる。(モネの睡蓮と同じ)

★余談
「幸福時光」(至福の時)を出版するに当たって、日本語訳のために手書きの序文を依頼。
原稿用紙の余白に「あなたの言いつけにしたがって、これを書きました。私が大作家になったら、これは文物になるでしょう」という冗談が書き留めてある。
執筆のスピードは非常に速いらしい。

莫言の作品のテーマの推移。
発想:酒国【翻訳:藤井省三】
一族:豊乳肥臀【翻訳:吉田富夫】お母さんがモデル
作品として:白檀の刑【翻訳:吉田富夫】7・5調で訳す。「茅盾文学賞」にはノミネートすらされていない。

四十一炮(2003)独白の手法
生死疲労(2006)【邦題:転生夢現】1950~現代中国の比喩。旧小説の仕立て。講談調に訳す。
蛙は大陸出版前に邦訳を依頼された。


・・・・以上

神保町めぐり

昨日・今日とムスコと東京に行ってきました。
・・・とはいっても、ムスコはムスコで会いたい人ややりたいことがあるらしく、ほとんどが別行動。
行き帰りの新幹線と、宿泊のみ同じでした。
で、私は一人で何をしたかというと、神保町で本屋めぐり。
神保町は古書町として有名だし、中国好きは多分一度はお世話になっている東方書店もあります。
東方書店の斜めむかいには内山書店も。
それらを楽しみに行ってきました。

JRだったので御茶ノ水駅から明治大の前を通って神保町にでました。
明治大学のあたりは楽器屋さんが多くて、なんでここに楽器屋?と。
秋葉原が電気街で神保町が本屋街であるのと同じで、楽器街か?などと思いながら通り過ぎ。
あとは何故かカレー屋がやたらと多かった。
これも、何か理由でもあるのでしょうか。

そんなことを思いながら三省堂書店の裏手のすずらん通に向かいました。
それにしても東京は北京で言ったら胡同・名古屋の閑所みたいな小道が多く、そこを覗くと昭和の香り満載の喫茶店や食べ物屋さんが何件もありました。
道の外まで本を出しているので、本屋の前には何人か物色する人が必ずいる感じ。
なんとも面白い町です。

今回の目玉は北京地図。・・・といってもただの地図ではありません。現在の地図であれば、昨年訪中した際に免費で手に入れた地図があります。
今回、手に入れたのは民国17年と23年のもので、当時はまだ北京ではなく北平(べいぴん)と呼ばれていました。我ながら変なものを購入したと思います。。。ってか、その場になるまで、これを買うなんて思ってもいなかった。これを眺めているだけで、当分楽しめそうです。

それから購入はしませんでしたが、内山書店で「のだめカンタービレ」の大陸版と台湾版が売っているのを見ました。
のだめって「野田妹」と言うんですね~。
野田はそのまま、「め」を「MEI」と音訳かつ意訳したんでしょう。
なかなか面白いと思いました。

そんな感じでゆっくり冷やかしつつ見て回りました。
ただ、休日は休みのお店もありました。
残念でしたが、しかたありません。

みどり多文化交流会

今日は緑区役所にイベントのボランティアにいってきました。

ボラの通訳の仕事は内容の説明よりも(日本語が出来る人が多いので)会場をブラブラして中国の人を見つけたら「楽しんでる?」などと声を掛けて回るみたいな感じです。
説明も日本語で聞けるから日本語でもOKなんだけど、むしろ、こういうちょっとしたことを自分の母国語で言われると喜んでくれるようです。
そういうわけで私も一緒に楽しんできました。

最後にブラジルの音楽(サンバ)を演奏してくれたのですが、ブラジル人の人達が自然と踊っていたのに結構感動しました。
日本人には音楽を聞いたら身体が自然と動く、というのはDNAに書かれていない、と思いました。(沖縄の人はそうではないみたいですが)

以前、お世話になった医療通訳ボラのブースもあって、久し振りにそこの関係者の方とお話ができました。
数年前にNTTデータとの仕事で医療相談の電話ガイダンスの吹き込みと翻訳をしましたが、今でも立派に稼動しているそうです。(本人はすっかり忘れてました)
自分の声が自分の知らないところで一人歩きしているのは、けっこう恥ずかしいものがあります。もし修正するならやらせてください、とお願いしました。。。ってか、出来るならやりなおしたい(笑)
電話をかけたら、今でも数年前の自分の声(しかも機械的に合成された文章で)が流れるなんて、タイムスリップした感じで変な感じですから。

今日の名古屋は雨で非常に寒かったのに、沢山の方がきてくれました。
ボラで参加された方、お疲れ様でした。
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