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ひとびとの墓碑銘

副題が「文革犠牲者の追悼と中国文芸界のある状況」とあるとおり、文化大革命時に犠牲になった知識人の追悼文・回想文を主に集めた本を読みました。

『ひとびとの墓碑銘』(竹内実 村田茂/編 財団法人霞山会/発行 1983年)

当代・現代文学を中心に見ていると文化大革命は多かれ少なかれ関わりがあるものです。
ですから、文化国関係することは意識的に目を通すようにしています。
それに加えて巴金の文章が翻訳されて取り上げられていたので借りてきました。

巴金は自著である《家》で書いたことが自分自身の身に降りかかろうとは思いもしなかった、と書いていました。
その気持ちは私にはちょっと想像することができません。
《随想録》をやろうと思ったときに、私には手におえない、とたしなめてくださった先生の言葉が思い出されました。
それと同時に彼にとって《家》と言う作品がどれほど大きいものだったのか、とも思われます。

それから、竹内先生が書いていらっしゃったのですが、作品と作者の関係について。

「作者と作品の関係も、
 作者 ━ 作品 というふうに成立しているのではなく、
 作者 ━ 検閲a ━ 作品(書かれた作品)━ 検閲b ━ 作品(発表された作品)
というようになっているのだ、とおもわれる。」

と書いておられます。
私は書き換えをやりますので、このようなことに非常に興味があります。

ここで言われる「検閲a」は作者本人の自己検閲、「検閲b」は制度的なもの、と位置づけています。
「検閲b」は言論の自由にかかわるものなので、言うに及ばずですが、「検閲a」は中国の文学者にかかわらずあるものなのではないかな、と思います。
意識するかどうかは別ですけれど。
ただ、竹内先生は
「今の中国は(中略)検閲bを強化するのは回避したい。そこで、検閲aを強化することを意図しているのであろう。」
とおっしゃっています。
それが事実であるならばこの本が書かれた1980年当時の中国政府はなんとしたたかだったのでしょう。

竹内先生からもうすこし最近の中国についての発言がないかが気にかかります。

魯迅点景①

昨日、図書館で借りてきた本を読んでいました。
今日読んだのは

『魯迅点景』(吉田富夫/著 研文出版 2000年)

この本は自分の蔵書をひとまとめにしてあるダンボールをひっくりかえせばあるはず。
でも狭い我が家ののこと、すべての本をいつでも読めるようにしておくこともできず、やむなくしまいこんだまま。
それを図書館で借りて読むのだから、我ながらどうかと思うが改めて読んでみました。

魯迅は中国文学を勉強する人にとってはいうに及ばず、そうでない人にとっても有名な文学者の一人です。
研究も多くの人がしていますし、実際、調べ物をするために図書館へいくと、「現代」に関連する書籍の大部分が魯迅をテーマにしてあって、数の上でも「頭ひとつ」どころかほとんど独走態勢です。

それほどに関心を集めている「魯迅」をテーマにした一冊です。
魯迅が魯迅になるまえ、周樹人といっていたころの心の動きを作品から読み解き、いかにして私たちの興味を集めてやまない魯迅となるかということや、作品の読まれ方などを論じています。

著者の独特の書き方もあって・・・私はいつも思うのですが、著者の語りを聞いているような錯覚に陥ります。
今日は分からない所があっても止まらずに、一通り読みましたが、返すまでにもう一度、メモを取りながら読もうと思います。
その後でもう一度記事にするかもしれません・・・ってことで「魯迅点景①」

打ちのめされるようなすごい本

今日は雨。冬に戻ったような天気でした。
今日は友達と会う約束をしていまして。
普通に家を出たのですが、事情があって、ちょっと待ち時間が出来てしまいました。
松阪屋のB1にある本屋さんをぶらぶら眺めていたところ、この本に出会いました。

『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫 米原万里:著)

私は彼女の「私の読書日記」を楽しみにしていました。
連載の最後のほうは病気のことが書かれていて、なんともいえない気持ちがしました。
私にとっては米原万里自身がかかれたものが「打ちのめされるようなすごい本」でしたが、
その彼女が読んだ「打ちのめされるようなすごい本」を見るのも興味深いものです。
著者がなくなって、もう4年近くが経ちますが、久しぶりにまた彼女の本に出合えてうれしく思いました。

中国近現代史

翻訳からもすっかり手が離れて10日がたちました。
あまり根を詰めていたわけではないのに、終わってみたら少々時間をもてあましています。
かといって、以前のように朝3時に起床という生活からも遠ざかって久しいので久しぶりに早起きをすると昼間が眠くて仕方ない(笑)

そんなわけで、まだ助走気分が抜けませんが、お昼休みの時間とか少しずつ読みすすめたのがこの本です。

『中国近現代史』(岩波新書 小島晋治/丸山松幸著 1986年)

発行年が1986年ということで、内容としては1982年くらいまで、年譜は1793~1985年までになっています。
時期としてはアヘン戦争(1840年)くらいから。
中国史もそうですが日本史をみても、この時期はいろいろと大変です。
中国はアヘン戦争で負けて以降、列強の侵略の歴史に入ります。

今、NHKで『坂の上の雲』を放送していますが、国を強くするために外国から貪欲に学ぼうとする青年の姿が描かれています。
司馬遼太郎の作品は情緒的な感じがするので、ドラマも熱血的です。
秋山兄弟とこれからどんどん伸びていこうとする国の姿がダブって見えます。

まぁ、ドラマと比べるのは間違いかと思うけど、それを差し引いても日本の近代化より中国の近代化のほうが厳しいもののように見えました。
日本は明治初期に西南戦争を終えたことで内戦から解放されたけれど、中国は中共と国民党の内戦とずっと平行して外国と戦わなければならなかったから。
それから日本は日露戦争・日清戦争・・・と第二次大戦までは負けなかった・・・つまり外国からの侵略を受けなかったけれど、中国は負け続けた。
そういう苦労が見え隠れします。

なんか上手くまとまらないな。
頭が「書く」ことから遠ざかっていたからかな。
言いっぱなしだけど、今日はこれで。

竜馬がゆく

いろんなことの合間に気晴らしもかねて再度『竜馬がゆく』を読んでいます。
この本は私の座右の書のひとつでして、何度も読み返しています。

この『竜馬がゆく』

司馬遼太郎の好みもあるんでしょうが、竜馬が非常にかっこよく書かれています。
主人公ですからね~。
脚色もかなりあるんじゃないかと思います。
小説である以上、かまわないんですけど。

で、これまでは司馬遼太郎の描く竜馬像が好きでたまらなかったのですが、今回読み返してみて
ちょっと違う印象を受けました。
ありていに言えば、ちょっとかっこよすぎじゃない?ってこと。

来年の大河は私の大好きな坂本竜馬で、それを演ずるのはこれまた大好きな福山君。
思いっきり騙されるんだろうな>私
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