スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

《随想感》 日译本序

すこし内容が前後するが筑摩書房の日本語訳は日本語版への序文が冒頭に書かれていたので、本文に入る前にそれについて取り上げようと思う。

随想録5集の中の「真話集(第3集)」に77番目として入っている。
ここに挿入されているのは、筑摩書房から日本語版を出版したいとの話が出たタイミングが、随想録・探索集の2冊がすでに中国で出版済みであったことに理由があると思われる。
しかも最初は、日本の読者に向かっての序文については身体の具合が悪く、執筆が困難であるから遠慮したいとのことを翻訳を同意した手紙に述べたと書いている。

しかし、日本の読者に自分の意図が正しく伝わるかどうかを心配し、自分の心を取り出して見せることが必要であるとの結論に達し、序文を書くことにしたとしている。

これは私の単なる印象なのだけれど、自分の心を取り出して見せるために序文を書く、という発想自体が不思議な気がする。
なおかつ、自分の体調も万全でないときに一旦断った文章を改めて書くことにする、それを本集の1篇として組み入れることはあまり例の無いことと思われる。
思うに、日本語訳のため、と言いながら今後10年の大災厄を知らない時代の人にも宛てて書いているのではないかとも考えられる。

77番目の本編として組み入れたことはこの作品の編集上意味があったことなのかもしれないし、単なるタイミング的偶然かもしれないけれど、全編のほぼ真ん中あたりで改めて

「私は素手で文壇に乗り込んだのではない。作家にとってより大切な芸術的良心を持ってである。『随想録』は、とりもなおさず、その証人になることができる、と。」

このように表明することで、結果的にこの作品の位置づけを改めてはっきりさせたようにも思われる。
さらりと書いているように思うけれど、随想録について聞きかじった知識を総動員すると、この文章でもいくつか引っかかる部分は無いでもない。
思い込みに過ぎるかもしれないので、漠然としたまま持っていて、今後の楽しみとする。

今週、ちょいちょい調べている過程で見つかったのが、「巴金と読者」(河村昌子氏)の論説文。
CiNiiで公開されていました。

今更のように巴金全集の目録をまとめておいたほうがよさそうだ的な考えになって、全26集に何処に何が収録されているかを見てみようと。
最初はスマホのカメラで目次を写真に撮影して取り込んでいたのですが、なにせ26冊。
うんざりしてきたので、試しでネットで検索してみたら百度で見つかりました。
とりあえず、それをEvernoteに保管して覚えとすることにしました。
(購入時に自分で手書きでまとめたのですが、捨ててしまったかして、ありませんでした)
あぁ、本当に便利な道具が次々と出て来てくれました。

今回取り上げた日本版序文は全集17巻の序跋集に収録されているかと思って探したけれど無く。
そういえば「家」の場合は本文と同じ巻に全ての序が収録してあったことを思い出して、改めて随想録本編に戻ってみました。
そのときに、全集全てをひっくり返して序跋集が収録されている巻を探すと言う莫迦なことをしてしまいました。
(←準備は大切)
ただ、これも思い込みですが巴金というひとは序跋を非常に重視して作品に対する自分の考えを丁寧に書いている人という印象があるので、序跋集も資料として参考にしたい。
特に「家」の序は興味深く読みました。

さて、来週から本編に戻りたいと思います。

関連記事
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

piaopeng

Author:piaopeng

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
リンク
カテゴリー
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最近の記事
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。