藤野先生

皆様 こんばんは。
今回の講義、現代は『藤野先生』を含める『朝花夕拾』を取り上げました。

藤野先生は魯迅にとって大きな影響を与えた仙台医学専門学校の先生です。
『藤野先生』(作品の場合は『』で区別します)によると、東京での生活を経て、仙台に移った魯迅は医学専門学校で藤野先生に出会います。
藤野先生は一風変わった人で、着るものにも無頓着。ネクタイを締めるのを忘れてきることがあったり、ひどいときは電車内でスリと間違えられることすらあったと書かれています。
そんな藤野先生は魯迅に目をかけ、講義のノートを添削してくれたりします。
それが原因で、魯迅は同級生からテスト問題を特別に教えてもらっているんじゃないかなどといわれてしまいます。
後にその疑いは晴れますが・・・。
そして、問題のフィルムを見る場面が出てきます。
このフィルムをみたことによって魯迅は医学から文学に転向したといわれています。
(このとき、藤野先生に別れを告げるにあたって、医学ではなく生物学をやろうと思う、と気休めを言ったと書いています。
それは後年、進化論の丘浅次郎の影響を受けるきっかけになったのでは?というのが先生のご意見です)
仙台を離れるとき藤野先生は一枚の写真を渡し、その裏面に「惜別」との文字を書いたそうです。
その写真を魯迅は書斎の壁にはり、気持ちが萎えそうになったときはそれを見て勇気を出した、と書いています。

****************************

もともとこの作品集『朝花夕拾』は別の題名で連載をされていました。
改めてまとめることで、作品として完成したと・・・つまり、事実のみを記したものではなく、フィクションも交えたのではないか、と理解しました。
そのことは『朝花夕拾』の『小序』で魯迅自身が指摘しています。

しかし、事実ももちろんありまして。

『魯迅と仙台』(東北大学出版社/2004.10)

これには藤野先生から添削を受けた解剖学のノートの内容が写真で載っています。
講義で見せていただきましたが、素人目に見ても臓器の描き方などは相当うまく思えました。
『藤野先生』には先生からこの絵の一枚について
「見なさい、君はこの血管の位置を少しずらせている。たしかに、こうすれば見栄えはよくなるが、解剖図は美術ではないから、我々は見たとおりを引き写すだけ、勝手に動かすわけにはいかんのですよ(後略)」
と指摘され、魯迅は口では「はい」と答えたものの、心では
「でも私の図はうまく描けているでしょう。実際の形はちゃんと頭にはいっているから、いいじゃないですか」とつぶやいていた。
と書かれてます。
そんな記述があったかどうかまでは確認できませんでしたが、確かに添削をしていただいていたようです。
でも、この解剖学のノートについては『藤野先生』ではなくしてしまったと書かれているのです。
このあたりが作品としての『朝花夕拾』で内容は事実に即しているわけではない、ということなのでしょうか。
竹内好の『魯迅』(講談社文芸文庫)には

『朝花夕拾』は普通に自伝の面が強調されているようだが、私はむしろ、かなり作品を感ずる。

と書かれているのはそういうことなのでしょう。
それから、北京の魯迅博物館に、藤野先生の写真の現物が展示されていますよ。

日本人から見た魯迅の研究は竹内好だけでなく、
『魯迅』(丸山昇/東洋文庫1965)
『魯迅と日本人』(伊藤虎丸/朝日選書)
『魯迅と終末論』(伊藤虎丸/竜渓書舎)

があります。講義で紹介されたので覚書です。

それから、ここで原書として扱ったのは1981年に出版された《魯迅全集》です。
私が棚から牡丹餅のように手に入れたあれです。
翻訳は学研の『魯迅全集』を参考にしました。(日本語の引用はこれから取りました)
魯迅の全集については1938年の《魯迅全集》だけが著作と翻訳とを両方収めているそうです。
それ以降は翻訳の仕事は収められず、著作のみになりました。
それも併せて覚書としておきます。

今回の講義は残りあと1回あります。
魯迅そのものに私はすごく興味があるとか、大好きというわけではないのですが、この先生の講義は文章の読み方とか、ひとつの知識が線になってつながる面白さとか・・・そういうことが聞けるので毎年欠かさず聞いています。
文章の読み方とか、資料の扱いなどは他の作家について勉強するにしてもとても参考になります。

今回は私が調べたことではなく、ほとんどが講義で学んだことの覚書になってしまいました。
消化したら記事にしようと思って、そのつもりで書いたんだけど、やっぱりちょっと支離滅裂かも(笑)

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コメント
竹内好
 懐かしい名前が出てきましたね。

 私の大学時代、現代中国を論じるときに、竹内好がどう言っているか、気になったものです。

 私も、竹内好の本、何冊か持っていました。

 なお、FC2のブログ、久々に更新しました。
2007/01/06(土) 14:57 | URL | jitenfeti #vk7Sntis[ 編集]
★夢華録さん
本当にそう思います。
言葉もかなり直球ですねぇ。

その昔、魯迅が「二心集」や「三閑集」「花辺文学」といった名前をつけたのもこんな民族性(というとステレオタイプのようでいやですが)からでしょうか。
藤野先生の最後にあるように、先生の写真を見て勇気を奮い立たせたのはやっぱり論争のためだと聞きましたし。
このパワフルさ、日本人にとって学ぶべき点もあるのかも。
2006/12/30(土) 18:40 | URL | piaopeng #-[ 編集]
>どちらが正しいか、というより、意見は意見として両方を尊重しあうとい>う方向には行かないのでしょうか。
行かないんだと思います(笑)
日本人は論争がおこると、とにかく自分を曲げてでも丸くおさめようとします。論争が起こらないようにタウンミーティングも「やらせ」で開催する国ですから。
日本人のコメントは、どなたも無難にまとめる傾向があるけれど、
中国人は思ったことをバンバン言いますから。
あれだけ論争するバイタリティがすごい!て心底思います。
2006/12/30(土) 16:03 | URL | 東京夢華録 #-[ 編集]
★夢華録さん

う~ん・・・私は全て正確に理解できているか自分に自信がないので、あの論争について発言する資格がないんですが・・・。
環境が人を作るということはあると思うので、どちらが正しいか、というより、意見は意見として両方を尊重しあうという方向には行かないのでしょうか。

私が思うのはコメントをする側のマナーとして、人の家(ブログ)で論争をするのではなく、トラックバックして自分の家(ブログ)でするのが家主の迷惑にならないのではないか、ということは感じました。
なんだか、夢華録さんの手を離れてしまったところで論争が行われているような印象を持ちました。

でも、さすが中国語で論争をまとめられてましたね。
年末年始はちょっとゆっくりしてください(^。^)
2006/12/30(土) 15:50 | URL | piaopeng #-[ 編集]
東北大学に一回行ったことがあります。仙台の町からちょっとはずれた丘にあります。自分を見つめ直すには良い空間かもしれません。
私のブログでは相変わらず中国人同士の論争が続いているのですが、
要は日本に来て中国を外から見ている人と、中国国内にいる人との
価値観の相違から生じる衝突です。
魯迅や梁啓超も当時同じような憂国の念を抱いていたのかな、とふと
今思いました。
環境が違うとやはり考えや価値観が変わっていくのでしょうね。
2006/12/30(土) 01:37 | URL | 東京夢華録 #-[ 編集]
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文学をよく見てみると

他太宰作品とは大きく異なる傾向にあるこの作品は、竹内好や武田泰淳、鶴見俊介といった熱烈な太宰治のファンだった作家らは失望を表した。竹内好や武田泰淳は東京大学支那文学科に籍を置いていた事もあり(武田は中退)中国文学に独自の愛着を感じていた為だとも考えられる。
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