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孔子

皆様 こんにちは

人間って。
どこまでだらだらできるものなんでしょうか。
仕事に行かなくなってかれこれ1ヶ月。
寝る時間も今までどおり。おきる時間も今までどおり。

しかし。
増えてしまったのが。

お昼寝の時間。

いいのか私。
これで正常に社会復帰できるのか?
一抹の不安を感じつつも、現在、スクーリング中ですからね。
勉強もしてますよ(←いいわけじみている)

で、今回古典大嫌いな私が読んでいるのは

『孔子』(金谷 治/著 講談社学術文庫 1990)

うちの学校のテキスト履修科目は古典ばかり。
中でも《論語》は重要で孔子についてのレポートだけで3つは書かないといけません。
《論語》はこれまでにもいろんなところで触れたり、読んだりしてきましたが、孔子の人間像から、後世に及ぼした影響についてトータルで読める本でした。
でも、孔子についてはリポートで触れたので、ここではパス。

著者の意見で興味を覚えたものがあったのでそれを取り上げます。
この本の著者の《論語》に向き合う姿勢を端的にあらわしたのがこの記述。

孔子という人物を、できるだけ具体的な歴史のうえにのせて客観的に明らかにする努力をつづけながら、しかもそれを古い遺物として博物館のケースに収めるのではなくて、もっと生き生きとした一人の人間として、われわれとの間の同情(シンパシイ)を求めていく、それが私の望むところである。

孔子は後世、聖人と称されて中国のみならず日本を始めほかの国にもその思想は影響を及ぼしましたが、そういう祭り上げられた人に人間的な魅力を見出すことができるか、というと私はそうは思いません。
子供ころならいざ知らず、それなりに自分の意見を持った大人が孔子と接するときには、人間くささが見えないないと、どこか胡散臭さが漂います。
そういう孔子の人間像から、彼の死後、そこから一人歩きを始めたイメージ。
2500年以上にもわたって人々に良くも悪くも影響を与え続けた偶像としての孔子と、人間としての孔子との両方を著者の解釈で提示してくれます。
そしてそれは古典の中の解釈だけでなく、現代中国に与えた影響(孔子批判など)についても言及してあり、現代文学を学ぶ私にとって勉強になりました。

今までは「論語?孔子?あんまり関係ないもんね~(←関係ないわけないだろう)」などと敬遠していましたが、古代の思想が現代とこうつながるのか~・・・という気づきになりました。

それから、もうひとつ。

現代のように目まぐるしく忙しい時代では、一つの事をじっくり学んで、それをくりかえして習熟するというようなことは、もはや縁遠いことに思われるかもしれない。人びとは、ちょっと学んだだけですぐに身に付く、そしてすぐ実用に役立つようなことを望んで、次々と新しいことを求めて流れていく。しかし、それにもかかわらず、というより、むしろそれだからこそというべきか、人は「学んで時にこれを習ふ」ということばを味わい深くかみしめるのである。

う~ん・・・これは私も自戒しなければいけません。
結果ばかりを追い求めて安易な学び方をしていないか、ということだと思います。
文学に関しては、実用には程遠いですけど・・・それにしてもよそ事ではないですよ。
この記述は胸にずしんときました。

長い人類の歴史にはその死後、えらくなりすぎちゃった人は数多くいますが、その最上位クラスに位置しているといってもいいのが孔子。
その人に仮託して著者は意見を述べています。
そういう読み方もできると思ったので、一粒で二度おいしい本としてご紹介しました。
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コメント
★古中さま
そ・そうなんですか。。。。それはとんでもない間違いをしていたものです。

『ブログを拝見すると、piaopengさんのご専門は近代中国文学のようですから、古典の方のことをうまく表現できないのはやむを得ないこと(というとすごくトゲがあるんですけど^^;)かと思うので、おきになさらず。私も専門外のことは、ブログを読んでいただければ分かるかと思いますが、からきしダメです。』

それはご謙遜でしょう(笑)

間違いのないように言葉を選んでいるつもりですが、行き届かず申し訳ありません。
それに、私のは「専門」といってもまだまだ上っ面をなぞっているに過ぎませんので。
今後ともいろいろ教えていただければうれしいです。
2006/12/20(水) 09:53 | URL | piaopeng #-[ 編集]
★piaopengさん

> えっと・・・私たちが行ったのは、ある言葉を大漢和で調べると意味とその出典が出てきます。
複数の意味がある言葉は、大漢和に書かれている出典を見比べてどの意味をとるか・・・という、非常に基礎的な作業です。
小さい漢和辞典でだったら当たり前の作業ですが、大漢和などの大きな辞書で行う機会は無いでしょう、という先生のご配慮です。

なるほどなるほど。。。
ようやく、piaopengさんが講義中でされた作業というのが分かりました(w んー、我々(?)の世界では、それは典拠確認(探し)とも出典確認とも言わないと思います。ただ、「分からない語句の意味を大漢和で調べた」(あるいは意味が分かっていても、大きい辞典ではこうなっていると教えたかったのかもしれません)ということにすぎないので^^;
でも、そこで実際には、その語句が易やら書(経)やらの古い書物にすでに出ている、明らかにそこでの意味を含めて言っている、というのが分かったというなら典拠探しにもなりますね。
ブログを拝見すると、piaopengさんのご専門は近代中国文学のようですから、古典の方のことをうまく表現できないのはやむを得ないこと(というとすごくトゲがあるんですけど^^;)かと思うので、おきになさらず。私も専門外のことは、ブログを読んでいただければ分かるかと思いますが、からきしダメです。
そういえば、私は中国に短期留学していたとき、『巴金家書』とかいう巴金と奥さんとの手紙のやりとりを読んで、かなり感動した記憶があります。凄まじい人生でもありましたしね。。。訳本ですけど『家』とかけっこうスゲーなと思って読みました。
2006/12/20(水) 03:15 | URL | 古中 #FvLIUmYM[ 編集]
★古中さま
いえいえ、こういうことは是非とも突っ込んでくださいませ(笑)
言葉を自分では正しく使っているつもりでも、間違った使い方をしていることや、書き方による誤解があるかもしれませんので。
えっと・・・私たちが行ったのは、ある言葉を大漢和で調べると意味とその出典が出てきます。
複数の意味がある言葉は、大漢和に書かれている出典を見比べてどの意味をとるか・・・という、非常に基礎的な作業です。
小さい漢和辞典でだったら当たり前の作業ですが、大漢和などの大きな辞書で行う機会は無いでしょう、という先生のご配慮です。

・・・というと、「典拠確認」のほうにあたるのかな。

『「好きだからやっている」「知的好奇心に従ってやっている」でもいいのではないか、とある先生に言われて、ある種共感したことがあります。でも、教授が面白くても学生が楽しくなかったら・・・とか、チラッと考えたんですけどね♪最近も、自分が知的発見をした喜びのない論文は読んでもつまらないし、学問上の発見も少ない、という話を聞いて、これまた共感。。。』

ふふふ・・・。結局のところ、こう言うしかなかったですよ、私も。
息子は納得できないような顔をしておりましたが(笑)
2006/12/19(火) 16:14 | URL | piaopeng #-[ 編集]
★piaopenさま

出典確認をされたのですね。了解です。
自分が間違ってるかもしれませんが、典拠確認というのは、たとえば「不惑」という語が出てきたら、これは実は『論語』の「四十而不惑」という典拠があって、それを踏まえて使われている、という語句の元ネタ探し、みたいなことなんじゃないかなと思います。で、出典確認というのは、たとえば『世説新語』の本注には「(書名)曰、~~」というのがたくさんありますが、その書物の記事を直接見て、あぁたしかに「~~」って出てるね、とか、あれ「~○~」と1字多いぞ、とかそういうのかと。。。
というか、、、細かくて申し訳ないのですが、大漢和を引いて、出典が確認できるのでしょうか^^; (まぁ、講義でされたのであれば、大漢和で確認できるような箇所をあらかじめ選んだのかもしれませんね)

いつも細かいところにつっかかってすみません。

> 息子にも「もう勉強しなくてもいいのに、なんでそんなにやっているの?何かいいことある?」と問われて、返答に困ってしまいました・・・(笑)
具体的に示すことのできるメリットがないもので・・・。

「好きだからやっている」「知的好奇心に従ってやっている」でもいいのではないか、とある先生に言われて、ある種共感したことがあります。でも、教授が面白くても学生が楽しくなかったら・・・とか、チラッと考えたんですけどね♪最近も、自分が知的発見をした喜びのない論文は読んでもつまらないし、学問上の発見も少ない、という話を聞いて、これまた共感。。。
2006/12/19(火) 04:42 | URL | 古中 #FvLIUmYM[ 編集]
★古中さま
今回講義でやったのは出典確認です。
本当は典拠(えっと・・・わたしはこれを、実際の書物の確認と理解しているのですが、ちがいますか?)確認まではしていません。
大漢和を引いて、そこに書かれている出典の確認をしたまでです。

私もこの本を読んで自分も結果を早く求めすぎていないかなぁ、と反省しました。
でも、やってもやっても収入にならない文学は評判がわるいかもしれませんね。
息子にも「もう勉強しなくてもいいのに、なんでそんなにやっているの?何かいいことある?」と問われて、返答に困ってしまいました・・・(笑)
具体的に示すことのできるメリットがないもので・・・。

社会の流れに逆らって固執するのも・・・・だし、かといって実学ばかりも・・・・だし・・・・。



2006/12/18(月) 12:44 | URL | piaopeng #-[ 編集]
今日のブログ、非常に共感しました。
昨日、大学(の教える側)関係の飲み会に参加してきたのですが、近年の「文系学問」に対する風潮には、私も違和感を感じざるを得ません。
いろいろな社会情勢もありますし、教える側が全く悪くないとも思いませんし、従来のまま、あるいは以前の状況がよかったのに今は・・・と言う気はないのですが、人文系の学問はそもそも「実学」(学んですぐ何かに役に立つ、お金になる)ではないんじゃないか、、、と思います。

あと『論語』は3度ほど通読しました。
それに学部時代に『世説新語』のゼミで、やっぱり出典確認させられました。なつかしいです。でもpiaopengさんがされているのは、典拠探し、でしょうか。。。その辺がブログを読んだ限りでは判断つかなかったのですが^^;


とにかく、今日のブログはいろいろと個人的にも考えさせられました。ありがとうございます!
2006/12/17(日) 03:40 | URL | 古中 #FvLIUmYM[ 編集]
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