本を千年つたえる

『本を千年つたえる 冷泉家蔵書の文化史』(藤本孝一/朝日新聞出版)

もともと本そのものが好きで図書館の司書になりたいなどと思っていたこともあって、こういう本があるのを知るとつい手にとって見たくなり、購入しました。
冷泉家に伝わる写本がいかにして守られてきたか、いかにして伝わったかが仔細に語られています。

私が興味を持ったのが、自分の子や孫に本を与える親心でした。
今は子供に読ませたい本があると、書店や図書館で目的の本を購入、もしくは借りてきて与えますが、印刷技術が発達していなかった1000年前は写すより他ありません。
子供が男であったか女であったかによっても与える本が違っていて、それが奥書にかかれていたりします。
本を写すというのは、その作品を後世に残すと言う意味もさることながら、人間の営みの上に文化が存在していたことを示していると感じました。

また、本の保管についても虫がつかないように、火事にあっても燃えないように蔵に保管し、万が一火事になったときには屋根を壊して延焼を防ぐなど保管のノウハウも伝えるということで、千年もの長い間、このことが個人の力でなされていたことに驚きを感じます。
長い作品を書写すると言うのは非常に労力もかかることですので、それだけ心理的にも今の本とは比べ物にならないくらい貴重さを感じていたのかもしれません。

この本で特筆すべきは筆者が「写本学」という学問を提唱していることです。
私の理解ではこれも含めて「書誌学」だと思っていたのですが、筆者は

版本を中心とした書誌学と写本学の大きな相違点は、版本が複数あるのに対し、写本はただ一冊のみだということにある。子の違いは写本学をして学問としての成立を困難にしている大きな壁である。その壁は「曖昧性(fuzzy)」にある

としています。確かに広い意味では写本学も書誌学に含まれると思いますが、その本の成り立ちや性質が全く違うので分けて写本にのみ特化した学問ができても不思議はないかな、という感想を持ちました。

版本よりも写本の場合は偶然によって内容が変わる可能性が高いことが面白さだと思います。
版本の場合、著者などの意思が明確に入って意図的に変えられることが多いと感じますが、写本は書き写す側が意図しないところでの変化も多いと思います。
それが一つ一つ違うという曖昧さが「写本学」が成立しにくい理由であると私は感じました。

「写本学」というのは私にとって興味深いものになりそうだと感じます。
もしこれからもこの分野についてかかれたものについて注意をはらっていきたいと思います。


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