なぜそんなことが起こったのか「布礼」(王蒙)

今日は夏休み3日目。うちの会社は7月から9月の間に3日間休みが取れるようになっているので、最後の一日を今日とりました。
無理に合わせた訳ではないんですけど、どうせならってことで、京都に行ってきました。

目的① 四条センターで行われているY先生の講義を聞くこと。
目的② 日ごろお世話になっている先生にご挨拶とお礼。
目的③ 図書館の本を返す。

そういうわけで、朝から京都に行ってました。

今回の講義は王蒙が1979年に雑誌『当代』に発表した
《布礼》(邦訳:ボルの敬礼を)についてです。
この作品が発表された1979年は文革終了直後で、開放から文革終了にいたるまでの内省の作品です。

最初は開放直前の、まだ地下組織であった共産党のありさまです。
地下にあった党員は「布礼」の一言で心がつながることができた、といいます。
それが反右派闘争、文革を経て、良くも悪くも党員は試されることになります。
しかしそれらの障害を乗り越えたとき、再び「布礼」という言葉で心を通わせることができるようになった・・・・と、要約すればそういう作品です。

「なぜこんなことが起こったのか」・・・つまり、反右派闘争や文革、そのときの個人の身の処し方(思想改造など)はどうして起こってしまったのか、という王蒙に対するY先生の問いかけです。
それにたいして王蒙は作品の中で「こうするより仕方なかった」という答えをだし、最終的には共産党の政治は正しいと言っています。

いろいろと背景を知ると王蒙という人は非常に現実的な人だと思います。
彼自身、1956年に『組織部に若者がやってきた』という作品で理想と現実の差を表に出してみたところ、反右派分子として労働改造をする羽目になりました。
(「羽目になった」という表現が正しいかどうかは分かりませんが)
そういう経験をしているから、最終的には結論を〈正しい党〉というところに落としどころを持っていった・・・と言うようにも見えます。

今回、Y先生の目を通して王蒙の「布礼」を総括すると、

①毛沢東時代への内省
②被害者の視点
③民衆の不在
④永遠に「正しい党」という神話に下駄を預けた責任放棄

・・・ということになるそうです。
この時代に書かれた作品の「限界」であるとも言っていました。
しかし、その後10年で内省をすることもできなくなりました。
第2次天安門があったからです。

王蒙は巴金より年が30ばかり若いですが、いろいろと比較すると巴金を知る手がかりも見えてきそうです。


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