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久しぶりに

みなさま こんばんは。
今日の名古屋はすっかり初夏。
2ヶ月ぶりに髪を切りに行ったのですが、動いていると汗ばむくらいでした。

名古屋の繁華街である栄で育った私は、行きつけの美容院も栄にあります。
当時からお世話になっているので、何かにつけ気兼ねがないということも理由の一つなんですけどね。
で、そこに行くには地下鉄に乗らなければいけません。
地下鉄で読む本を出るときに選んでて・・・久しぶりに『家』を持って出ました。

久しぶりに読むと、また違った感慨があります。
特に年頃の息子を持った身なれば、高家の長老の気持ちが自分と重なって見えたり。
古いものに抵抗する覚彗の台詞が胸にずきずききたり・・・。
自分って物分りのいい親のつもりだったけど、私の存在自体が子供にとってプレッシャーになっているのではないかと思ったり・・・。
我が家の親子関係についても考えてしまいました。
子供と付き合っていると、理性で覆い隠してきた自分の悪いところや思いもかけなかった考えが見えてきちゃったりして、すごく嫌です。
人間の二面性について考えちゃいます。

で、息子にとってはおそらく「体制側」である私なのですが。
覚彗が上海に旅立ったあとについて改めて思いをめぐらせてしまいました。
自分の子育てが比較的上手く行っていた時期と、子供の将来についても現実味が無かったときは、
覚彗のその後は非常に明るいものが想像されました。
古いものを捨て去り、前途洋々、と言うような。
子供にもそういう逞しさを求めていた節さえありました。
でも、今はちょっと違います。
新たに芽生えた気持ちは「不安」
「大丈夫か?おい」と言うような。
出来れば親の引いたレールの上を走ってほしい、と言う思いすらあります。

魯迅がイプセンの「人形の家」を踏まえて「ノラはその後どうなったか?」という論文を発表していますが、もし私が今「覚彗が上海に行ってどうなったか?」という文章を書くとしたら、多分「無難な道を選んだ方がいいよ。人生、そんなに甘くないぜ」という内容になると思います。
(魯迅も似たようなことを書いています)
でも、多分子離れをした後であったら、また、違った内容になると思います・・・ってか、思いたい(笑)

この余韻が名作を名作たらしめていると思います。
その時々の読者の変化をすっぽりと包み込む『家』が長く読み注がれているのは、こんなところに理由があるのかもしれません。
でも、この本をどう読むか、ということで自分の精神状態が示されると思うと、ちょっと怖いような(笑)

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