にっぽん虫の眼紀行 中国人青年が見た「日本の心」

皆様 こんばんは。

お風呂読書でようやく読み終えた本を紹介します。

にっぽん虫の眼紀行 中国人青年が見た「日本の心」
(毛丹青/著 文春文庫 2001年)
文庫版は2001年発行ですが、単行本は1998年12月に発行されました。
なぜ、このようなことを書くか、というと、1997年1月に神戸の地震があって。
当時の心境をリアルタイムにつづったものもあるからです。

毛丹青さんとは2度ほど同じ場に居合わせたことがあります。
両方とも大学の行事で毛さんは通訳として会に参加されていました。
そのときから、こういう本を書いていらっしゃるということは知ってはいましたが。
実際に読んだことは無く、遅まきながら読んでみることにしました。

ところでタイトルの「虫の眼」ですが、著者はこのように定義しています。

中国人は大きなものを好むとよくいわれる。例えば、一つの研究テーマについても、地味なフィールドワークよりは、周囲を驚かせるような結論を先行させたいというのがそのパターンなのかも知れない。そこで、私はドラゴンより虫の眼が好きである。なぜなら、小さな視点からとらえるものは、けっして完全な光景ではないが、真実そのものが存在しているからである。

多分、少し前の私だったらこの言葉には何の関心も示さなかったと思います。
私自身も「ドラゴンの眼」の持ち主だったからです。
「ドラゴンの眼」は便利な眼です。
この視点で物事を判断し、批評をすればもっともらしいことをいうことが出来ます。
人を大きく見せることが出来るものです。
でも、今になって思うのは。
何でも言えるというのは、(意味のあることを)何も言っていないと同義であるようなきがします。
何でも出来るというのは何も出来ないと同義であるのと同じように。

内容は・・・確かに「虫の眼」というタイトルどおり、日本での生活の一こまを切り取り、その中で感じたことを率直に綴ってあります。
声高に言い立てることのない姿勢に好感が持てました。
あまりに淡々としているので、タイトルのほうがむしろ大げさにさえ見えました。

そういう意味で私が好きな一編は「地下八百屋」
「足るを知る」「分相応」という言葉が想起されます。
淡々と続く日常こそ得がたいものであるということが伝わってきて、とても好きです。

全体を通じて感じたことは。
大げさに主義主張を言い立てなくても、「人となり」はにじみ出るものなのだなぁ、ということです。

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