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中国言語文化研究会

皆様 こんばんは。
今週末は大学の中国言語文化研究会に参加してきました。
京都の街は祇園祭シーズンってこともあって非常ににぎわっていました。
その模様は写真と共にこちらにアップしましたのでご覧ください。

今回の研究会の発表内容は。

1.『方方の武漢弁使用再考』

方方(1955.5~)は武漢出身の女流作家です。
この時期の知識人にしては珍しく文化大革命中の下放の経験は無いそうです。
長じて湖北電視台で編集の仕事に携わりつつ作品を発表。
当初は武漢弁を使うことは無かったそうですが、『落日』で全編武漢弁の作品を発表しました。
その意義について論じられたものです。

中国語は普通語という共通語があり、日本語と違って方言を話されるとその地域以外の人は分からないといわれていますので、どの程度取り入れたのか、ということに興味があります。
現代においても方言を使って、いわゆる「その人らしさ」を描き出す手法はあると思います。
方言である以上、口語であるという制約は払拭することはできませんので、主に地の文ではなく会話文で取り入れたとのことでした。
方方は生粋の武漢人ではなく、それもあって当初武漢弁を作品に入れることに躊躇したのではないか、と論じられていました。
・・・例えば私は名古屋っ子ですが、他の土地の人が名古屋弁を真似て話しているのを聞くと、あまり好い気はしませんから、そういう遠慮は普通にあると思います。
しかし、ある時期以降あえて方言をつかったということは武漢の情報発信という意味で意義があると思われる、とのことでした。

2.『画師呉友如の創作意識について』

呉友如というのは蘇州出身の新聞画師です。
『点石斎画報』という新聞の挿絵を書くのを生業としていました。
その『点石斎画報』というのはErnest Majorという人が経営しており、西洋人であるがゆえ新聞画師にも西洋的なリアリズムを求めたそうです。
そこで白羽の矢が当たったのが呉友如。

中国の伝統的な画風はシンプルな線で描かれます。
しかし西洋的な画風は遠近法や陰影法などを使って、より写実的に見せるというテクニックがあります。
呉友如はErnest Majorの依頼にしたがって、そのテクニックを見よう見まねで身につけますが、稚拙である点は否めません。
それにしてもこの画師の後世に与えた影響は大きかったと論じられました。

私もこういう近代に向かいつつある中国の所謂「過渡期」と思われる時期に表れたこの画師は心中如何ばかりであったかということを感じました。
時期としては文学革命よりちょっと早く、1884~1898年(創刊から停刊)までの期間のこと。
その時期に西洋とも東洋とも区別することができない、一種奇異に移映るものが表れるのは興味深いことでした。

最後に御大が李鋭の文学について講演をされました。
この講演で一番のテーマは李鋭を魯迅の共通性ということだと思いました。
でも、方方も武漢人である自分のアイデンティティを表現する方法として「方言」を使ったこととあわせ考えると、こういった「孤独感」というのは多かれ少なかれどんな人にもあると私は思います。
ただ、それに真正面から取り組んでいる人はいないのではないか、というのが論者の主張であるように思えました。


以上、3点でした。
私としては非常に興味深い内容でした。
画師の名前ははじめて聞くものだし、ましてや絵画の心得などまるで無いですし。
まったく新しい世界を見せてもらうという意味で研究会はいつも楽しみにしています。

時間の関係で懇親会には出られなかったのが残念でしたが。
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