中国幻影

皆様 こんにちは。
すっかり春らしくなりましたね。
Jリーグは開幕したし。オープン戦は始まったし。
明日は名古屋国際女子マラソンだし。
このマラソンは我が家の近くがコースなので毎年家族の誰かが見に行きます。
いつもこの時期は花粉症を原因とするくしゃみをしながらTV・もしくは現地で観戦。
自分の体調で春を実感しております。

で、今日の話題は本です。

『中国幻影 ひらいたパンドラの箱』
(吉田富夫/著 阿吽社)

ご縁あっていただいた本なのですが、いただいた日に一気に読んでしまいました。
久しぶりにハイスピードで読めました。
好きな本しか読んでいなかったときはこれくらいのペースだったよな。。。なんて思いながら(笑)
でも、そのあとじっくりと読んでいたら一週間かかっちゃいました。

この本は著者が京都新聞に16年間執筆してきたコラム〈現代の言葉〉をまとめたもので。
期間は1991年~2007年。
文学のこととしては、谢冰心や巴金・陸文夫・劉賓雁の死についてとか。
『胡風全集』の刊行についてとか。老舎のことなどですが。
大きくは政治情勢・・・そして身近な日常についてまで、それぞれを著者の目で見て感じたことを書いてあります。

私が独特だなぁ、と思うのは一つ一つのコラムに対して。
その内容だけに終始するのではなく。
もっと大きな目で全体を掴み取ろうとする著者の姿勢にあるような気がしています。
感情の面でもコラムに取り上げた「そのこと」について感じたことを述べつつも、どこかさめている感じがするんです。

その意味を勝手に想像したんですけど、本の中に「この目」かなと思ったものがあります。
それが書かれているのは『処刑人の目』というコラム。
これは著者が訳した『白檀の刑』の原作者、莫言について書いています。
この作品にはプロの処刑人が出てきて、一世一代の処刑を行うべく腕をふるうのです。

「処刑」という行為に対して

『その〈注:正義〉色眼鏡で見れば、〈敵〉の死に喝采し、味方の死に慟哭することにもなろう。
しかし、一歩退いて〈正義〉の色眼鏡をはずしてしまえば、そこにあるのは、たんに殺し、殺される無意味な行為に過ぎない。』

・・・と、このように書いています。
私は莫言だけでなく、著者もこの目の持ち主ではないかな、と思ったのです。
何事に対しても事実だけを見ているさめた目。
それがあるからこそ、著者の人間性というか・・・感情の部分がコラムの中で、さらに際立つのではないかな、と思うのです。

あとがきでご本人が述べているように。
『現代中国へのぼくの片思いを語ったもの』とのことですが。
片思いを語ったにしては、べたべたしたものが感じられないのは「さめた目」の存在に他ならないと思うのです。
私が著者について書くなんておこがましいことですが。
生意気を言わせてもらえば。
著者にガラスケースの向こう側の炎・・・こっち側では熱さは感じないんだけど、熱いものが見える・・・に似たものを感じました。



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