【講座】文学とは何か。

皆様 こんにちは。
昨日は大学の四条センターで行われた講座を聞きに行ってきました。
(またまたその近辺を散策してきました。その模様はコチラ
ここで開かれる講座で中文系は少ない気がします。
その上、今回の講師は。

御大

こりゃ、行かなきゃ!って訳です。
今月はスクーリング時期なので前日入りした同学も沢山来ていて。
懐かしい顔も見られました。

さて、講義内容ですが。

魯迅「狂人日記」-中国新文学の出発-

始まりは1915年雑誌《青年雑誌》が上海で発行された所からです。
1911年に辛亥革命が起こってその4年後。
このときに中国の新文化運動が始まります。
それからさらに2年後の1917年。
コロンビア大学に留学していた胡適が文言をやめて口語で文章を書きましょうよ、という「文学改良芻義」を発表します。
(胡適はアメリカにいたのでヨーロッパの情勢に明るかったこともあると思います。
ヨーロッパはルネッサンスを経て自由を獲得しましたので)
以前にもこのブログでこの内容は何度も書いたことがあるのですが、この宣言。
口語ではなく文言で書かれていたのです。
そして。
白話(口語)で書かれた最初の小説『狂人日記』が魯迅により1918年、発表されたのです。
(『狂人日記』についても何度かここで書きましたので割愛します。ブログ内検索で出てきます)

・・・とそういう話。
講義内容としては大学の講義レベルで私にとっては聞きなれた内容でした。
ただ、『狂人日記』について先生は、

中国の白話小説の幕開けでありながら、これを越えるものはいまだ中国文学で出ていない

と評価されていました。
その意味は白話を使った、と言うことではなく、ひとつの状況において被害者も、また、加害者になりうるということを告発したところにあるようです。

誤解があったら、いけないのですが、あえて私の意見を言わせてもらえば。
巴金の『家』などは、またちょっと違うスタンスで封建社会を告発していると思います。
三男は召使の女性に心を寄せながらも身分違いを越えることは結局出来なかったし。
三男「覚彗」が封建的な『家』から逃れようとする様を描くことで古い中国を批判しました。
あえて言えば、その召使の女性が自殺をしたときに自分を責めていますが、魯迅ほど強烈ではない。
そういう文体は多く若者の共感をもって迎えられたと思います。
若者らしい、からっとした明るさもあるしね。

でも、魯迅はどうかな。
読む人にいやな気分を与えたんじゃないかと思います。
だって誰もが自分は違うと思いたい中で、「そういうあなたも結局は加害者の一人だよ」と耳元でささやくわけですから。
そりゃ「嫌なやつ」と思われても仕方ない気がするんですよね・・・。

そういう思想的なことも含めて、先生は「中国でこれを越える作品はまだ出ていない」とおっしゃり。
当代文学も含めて中国文学は言語的にもまだ発展途上であると評しておられました。
魯迅って難解だと言われますが、難解なはずだ。
だって、一番初めに出したものが、答えだったと言うようなものですから。
「被害者もまた加害者」という思想はもしかしたら、巴金にも影響を与えたかもしれないなぁ。
彼の『随想録』にもそういう思想はあるように見受けられますので。

そんなことを考えながら講義を受けてきました。
考え出すと妄想が広がって広げた風呂敷が畳めなくなりますので、今日はこれくらい。


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