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もうすぐ京都

皆様 こんばんは。
もうすぐ京都です。
先週の水曜日に資格試験を終え、今週のお休みは京都で聞く講演会の関連書籍をチェックしておりました。

以前から紹介しておりましたところのコレ

正直申しましてね。
難しいです。
・・・と言いますのも。
これまで私が対象としてきたのは中国文学。
魯迅だったり、巴金だったり・・・中国の作家について書かれたものを読んだり、そのものに触れたりしてきたわけです。
でも今回は。
中国文学を見てきた日本の研究者(竹内好)が対象。
いまさらながら、その隔たりの大きさにページをめくりながら戸惑っております。

そんな中でも、私がなるほどなぁ、と思った一文を紹介します。

一般的に「批判」という好意は相手の過ちを縛をあるいは否定することによって自己自身の正当性を主張することと理解されがちである。特に歴史上の人物において、その当時には見えなかった状況が後人には見えると言うような場合には、なおさらそうなりがちである。(中略)
ところが、このような「批判」は、過ちに対する恐怖感を生み出すことはできても、竹内好を歴史化することはできない。なぜならば、歴史化するということは、あと知恵の価値判断に従うことと絶対に相容れないことであるから。

少々長い引用になりましたが、ここが私が共感した部分です。
歴史を語るとき、知らず知らずのうちに今の価値観やその後の結果を踏まえて判断してしまいがち、と言うのは常々思っていたことでした。
物事は価値が定まって初めて歴史になるんだと思う。
それが「あと知恵の価値判断に従うことと絶対に相容れないことであるから」と同義であると思うのです。
あと知恵に振り回されていると正当な評価は下せないですからね。

でも、これって日常の生活でも大切にしなければいけないものだと思います。
「ホントのところはどうなのよ?」を知りたいと思ったら、謙虚にならなければいけないんじゃないかと思います。
自分の価値観に偏りがないか疑ってみること、周りの意見に流されないこと・・・なんか、時々思うんですけど。
最近、知識と言うよりは物の見方について学んでいることのほうが多いなぁ。
誰かが言っていたけれど。
「勉強って生き方を学ぶことだよね」
・・・半分は言えてる気がします。
残りは好奇心ですが(笑)


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