取り掛かりの経過

比較する版が変わったので、もう一度最初からやり直しています。
初版と1954年の版は語法上の変更がないので、最新版との比較よりだいぶ楽です。
違うところと同じところが比較的はっきりしています。

先生のアドバイスもあって、エクセルにデータを入力しながら見ています。
先生はワードを使うことが多いようですが、私のはイメージとして「表」になるため、エクセルを使っています。
中国語を入力するときはピンインなので、繁体字をみてピンインが思い浮かばないことには打てません。
前後の文章から単語を予想して、頭の中で簡体字を思い浮かべると言う迂遠な作業から今のところ逃れられないので、それが苦労と言えば苦労です。
辞書を引くことも多いですし。
入力に慣れていないので、時間もかかりますが、それも数をこなすことで解決することでしょう。

私がこの作業をすることで期待するのは、文章を丁寧にみられるようにならないか、ということです。
最終的にたまったデータは引用文になるのですから、間違っていては差しさわりがあります。
ですから、入力するときもその後の確認も含めて同じ文章に何度もあたることになります。
差異を探すときにももちろん注意してみますし。

そして入力。小学生が国語の時間に文章の書き写しをするような作業が続きます。
今はまだスピードが上がりませんが、やっているうちに何とかなっていくと思います。

そういう感じで時間のあるときにこつこつやってます。ノートPCが活躍してくれています。

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ひとびとの墓碑銘

副題が「文革犠牲者の追悼と中国文芸界のある状況」とあるとおり、文化大革命時に犠牲になった知識人の追悼文・回想文を主に集めた本を読みました。

『ひとびとの墓碑銘』(竹内実 村田茂/編 財団法人霞山会/発行 1983年)

当代・現代文学を中心に見ていると文化大革命は多かれ少なかれ関わりがあるものです。
ですから、文化国関係することは意識的に目を通すようにしています。
それに加えて巴金の文章が翻訳されて取り上げられていたので借りてきました。

巴金は自著である《家》で書いたことが自分自身の身に降りかかろうとは思いもしなかった、と書いていました。
その気持ちは私にはちょっと想像することができません。
《随想録》をやろうと思ったときに、私には手におえない、とたしなめてくださった先生の言葉が思い出されました。
それと同時に彼にとって《家》と言う作品がどれほど大きいものだったのか、とも思われます。

それから、竹内先生が書いていらっしゃったのですが、作品と作者の関係について。

「作者と作品の関係も、
 作者 ━ 作品 というふうに成立しているのではなく、
 作者 ━ 検閲a ━ 作品(書かれた作品)━ 検閲b ━ 作品(発表された作品)
というようになっているのだ、とおもわれる。」

と書いておられます。
私は書き換えをやりますので、このようなことに非常に興味があります。

ここで言われる「検閲a」は作者本人の自己検閲、「検閲b」は制度的なもの、と位置づけています。
「検閲b」は言論の自由にかかわるものなので、言うに及ばずですが、「検閲a」は中国の文学者にかかわらずあるものなのではないかな、と思います。
意識するかどうかは別ですけれど。
ただ、竹内先生は
「今の中国は(中略)検閲bを強化するのは回避したい。そこで、検閲aを強化することを意図しているのであろう。」
とおっしゃっています。
それが事実であるならばこの本が書かれた1980年当時の中国政府はなんとしたたかだったのでしょう。

竹内先生からもうすこし最近の中国についての発言がないかが気にかかります。

家の比較

秋の復学に向けて、学費納入の案内だとか学生証の交付とか事務処理の案内が来ています。
一つ一つか片付けていくのですが、期限に余裕があるものばかりなので比較的楽に進んでいます。
勉強のほうも担当の先生と前回の研究会以降、改めてご挨拶することができました。
以前は、なんだか気後れしてしまってメールで指導を仰ぐことができませんでした。
でも、もう、ここまできたら、そんなことも言っておられず・・・「メールでも相談に乗りますよ」とのお言葉に甘えて考えがまとまるたびにメールでご指導をいただいています。

勉強に関しては理想ばかり追っていても、前に進まなければどうしようもないので、期限内で自分にできることにしようと考えました。
それで作品の選別なども含めて1から考え直したんですけど・・・結局、いくら考えても《家》しかないような気がしました。

作品は1年、実質半年でデータが集められるものとして、《家》よりも短いもの、と言う考えになりました。
これはテーマにも絡むのですが、1930年代に書かれた作品の多くは1950年代の「漢語規範化」の影響を受けて書き換えられたものが多いです。
巴金の作品で《家》より目に見えてボリュームが少ないものは、この時期にはないので、自動的に巴金からは離れることになります。
巴金から離れるとなると

①当該作家の「規範化」以外の書き換えについて
②「漢語規範化」に関するもの

の二つのテーマになります。
しかし、もともと私は巴金の《随想録》をテーマにしたかったという経緯があるので、②の「漢語規範化」を主旨にするのはちょっと違う気がします。
①に関して言えば、これまでの自分の考えとはまったく違うものになってしまって、これもまた私にとって意味がありません。

そういうわけで、やはり、これまでどおり、という結末になりました。
ただ「漢語規範化」に関してはあまり追わないことにしました。
見ていく中で、それなりにデータは集まっていくと思いますが、基本は内容の書き換えについて押さえようと思います。

そういうような内容でで先生にお知らせしました。
比較する版本も初版と巴金全集から初版と巴金文集に変更です。
序などから文集までに大きな書き換えを行って、それ以降はあまり変更されていないからです(まったく、ではないので、いずれ機会があったら、になります)。
巴金の考える「漢語規範化」についても別の機会です。

ただ読みにくいことに、文集の版は繁体字でかかれたものしか手元にありません。
繁体字には慣れていないのですが、やっているうちに見慣れてくるでしょう。


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