文藝春秋~素晴らしき日本語の世界

皆さん こんにちは。
中国語をやりたいなぁ・・・と思うと、日本語のほうに興味がいってしまうのが不思議なのですが。
買物ついでに寄った本屋さんで購入してしまいました。

『文藝春秋SPECIAL 素晴らしき日本語の世界』(季刊秋号)

日本語をテーマに、さまざまな方が寄稿されています。
「文字」ということから書かれたエッセイ、「方言」から、外国人の立場から・・・など、それぞれが専門とされている分野を背景に「日本語」について書かれているので、こんな見方もあったのか、と気づかされます。
なかでも興味深かったのは丸谷才一氏と井上ひさし氏との対談です。
今年なくなられた大野晋氏とのエピソードが交えてあったりして。
それから米原万里氏とも。
そして最後には、日本語で作品を発表する外国人らに触れ、日本語も外からの風で普遍語へと鍛え上げられる、いつまでも村落的な言語ではいられない、と言っています。
「村落的な言語」というのは日本の社会のありようも表していると思います。
言語は人間のコミュニケーションの大きな部分を占めるものですから、言語が外に向けて解放されれば、社会ももっと外に向けて開かれるのではないかな、と。
これまで「日本人でなければ」思われていた部分も解放されるのではないかなぁ。

こういう雑誌は本当に面白いです。
自分が今まで漠然と思っていたことを取り出して見せてくれたり、反対に思いもしなかったところを見せてくれたり。
中国語について、この種の雑誌があれば見てみたい。
中国の今の文筆家たちが中国語についてどのように考えているのか知りたいです。

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今後の進路

皆様 こんばんは。
気がついたら、8月ももうおしまい。
心配だらけの夏休みもおしまいです。
2学期は無事に学校に行ってくれることを願うばかり。
この夏休みは、子供とやたら話しをしただけでおしまいになってしまいました。
毎日2時間くらいは勉強に付き合いつつ、彼の心に溜まった気持ちを聞き。
親としての意見を言い。
将来について話し。
な~んか私自身の今後についても考えてしまいました

こういうことを誰かと話していると、いつも思うのは。
やっぱり拙いながらも中国語をツールにしてなにか出来ないかな、ということ。
小中学校で日本語のわからない児童・生徒たちがいて困っているとニュースで聞いたり。
病院に通うのに言語に問題があると聞いたり。
言語がネックになって不利益をこうむっていると言う話を聞いたりすると、なんとかお役に立てないかと思ってしまいます。
私程度の言語レベルではおこがましいかもしれませんが。
そこでいつも問題になるのが生活との折り合い。
これで行くんだ!!という勇気がでればいいんですけど。
でも、あまり迷っている時間ももう無いのですが。
凡人の私は「40にして惑わず」という心境には程遠くって、自分で自分にうんざりしています。

中2の夏休み

皆様 こんにちは。
世の中は北京オリンピックと高校野球で盛り上がっておりますね。
我が家にはスポーツオタクがおりまして。
サッカーは言うに及ばす(4歳からサッカーをしていますから)、野球、テニス・・・などなど、どこで覚えてきたんだい?と突っ込みたくなるくらいルールに詳しい我が息子。
独自の解説も交えて語ってくれます。
TV観戦は時間的にままなりませんけれど、スポーツニュースなどで楽しんでおります。

・・・まぁ、そんな夏休みなんですが。
中学に入ってからめっきり勉強のやる気から遠ざかっていた息子。
当然ながら、今回の成績は惨憺たるものでした。
私も日ごろのテストの成績やらいろいろから察するに。
別の意味で『期待通り』の成績でした。

子:おれ、中卒で働こうかな。
私:働くのは結構なことだけど、みんなは勉強して知識を蓄えて社会に出るんだよ。そんなみんなと社会に出てから、やっていかなきゃならない。勉強が嫌いなら職人になって手に職つけな。
あと、生半可な気持ちで仕事はすんな。勤めるならどんなにつらくても5年はそこで頑張りな。
分かるよね、高校3年間プラスα分だよ。

・・・と言う会話があったあと。
塾で、先生と話したり。
部活の顧問の先生と話したりしていたようです。
そうしたら。

子:おれ、やっぱり高校行くわ。部活やめて勉強する。

本当に部活を辞めてきやがりました。

しかし勉強すると言ってもそもそも基礎が出来てない子にとっては全てが苦痛の元。
それでも、これまでサッカーをやっていた時間をダラダラながら勉強に振り分けている様子。
夜は夜で問題集を私の前で少しずつ進めております。
集中してやれ、というのは簡単ですが、集中力とかやる気ってのはやっているうちに出てくるものでもあるようなので、とりあえず勉強に取り組もう、自分の時間を振り分けようとしている姿勢を評価しております。
勉強は相変わらず嫌いで、デスクワークは嫌、将来はどこか田舎で畑をすると言う息子。
座り続けることにも疲れるのか、気分転換と称して、お昼ごはんを作ってくれたり(・・・と言ってもうどんだったり、スパソースを絡めただけのスパゲティ)、私が帰るまでに洗濯物を取り込んでくれており、働くお母さんとしては助かることしきり。
生活が落ち着いてきたのは正直うれしいものです。

子はかなり軽度ではありますが、てんかんという病持ち。
その成長に関しては心配もいろいろあります。
中学を卒業したら、高校に行くにしろ働くにしろ自分で自分の居場所を作っていかなきゃならない。
親がしてやれることは、あんたの人生のごく一部だと言って育ててきたので。
どんな道を選ぶにしろ、体調に気をつけて逞しく生きていって欲しいなぁ、と言う気持ちを新たにしました。

ある記録

みなさま こんにちは。
お盆休みはいかがお過ごしですか?
今年の夏は暑いですし。
どこに行っても人がいっぱいだろうから外に出る気も起きず。
仕事の帰りにぶらぶらと本屋に寄り。
購入したのが、《文藝春秋》
何が目当てかって言うと、先般発表された芥川賞受賞作品である楊逸氏の『時が滲む朝』。
えっと・・・ハードカバーで購入すると・・・たしか1700円くらいだったかと思うのですが。
これを購入すれば790円で済む・・・というみみっちい考え(笑)
そのほかにもいろいろと記事が読めて、お得感満載。
そういうわけで、平積みにされていた同著を尻目に《文藝春秋》を購入してまいりました。

・・・ってわけで、目当ては楊逸氏の作品だったのですが、そのほかにも興味深い記事がありました。

それは戸塚洋二氏・・・東京大学特別名誉教授で7月10日にがんでお亡くなりになった方のブログ記事でした。
戸塚洋二氏の告別式でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が弔辞を述べておられたのは私も報道で知っておりました。
その戸塚氏がブログで自らのがん闘病記をつづっていたと言うのです。
その内容は薬の内容からその副作用のこと。
御自分の病気に関するデータや。
それに関する自分の心情の変化。
そして御自分の研究について、科学政策についてなどにも意見を述べておられます。

私は、それらにざっとではありますが目を通しまして。
こういうことが書けるのはブログならではだな、と言う印象を持ちました。
書籍であれば、テーマがもっと限定されていたでしょう。
個人の日記であれば、もっと内容がプライベートに傾いたり、主観におぼれてしまったことでしょう。
しかし、ブログと言うツールは個人的なものでありながら、やはり読まれることを意識せざるを得ないものです。
そうであるからこそ、内容に適度な客観性を保つことが出来たのでしょう。
それは書き手の教養によるところが大きいかとも思いますが、この「客観性」が書き手の心の負担を些かなりとも軽くしたのではないかと思います。

ブログやネットについて虚実混同などと断じて、凶悪事件などが起こると、それを理由にしさえすれば全ての説明がつくかのような意見を見るにつけ。
結局、ツールを使うのは人間であって。
ツールに全ての理由を求めてしまうのは危険なのではないかなぁとの思いを深くしていた私にとって。
こういう「ブログならでは」という情報の発信方法を見ると、これも1つの答えだなぁ、と思うのです。
新しいツールを人間が手懐けるにはまだまだ長い試行錯誤が必要ですが。

★戸塚洋二氏のブログ
The Fourth Three-Months

身心快楽

みなさま こんにちは。
北京オリンピックが始まりましたね。
現在我が家は息子の学業優先のため、「禁電視」
・・・な~んて言うと、すごく教育熱心のようですが。
こうでもしなければ埒が明かない勉強大嫌いな息子を持ったので仕方ないですね(笑)
それでも、録画で一部は見ることが出来ました。
もうちょっと感慨深いかなぁ、と思いましたが。
思ったより淡々と見てました。

ところで、先だって武田泰淳について書いたので、早速取り寄せて読んでみました。
そのうちの一冊。

『身心快楽 武田泰淳随筆選』(講談社文芸文庫 川西政明・編)

武田泰淳と言えば『司馬遷』というくらい、私の中ではこの著書が大きいのですが。
どちらか言えば、読みやすいと思われる随筆集から入ってみました。

これを読んでの印象は、『魯迅』を発表した竹内好(東京帝国大学の友人)と、好対照だと思いました。
本書に収められている"竹内好『魯迅』解説"の中でも、泰淳は

彼の歩行を芝白金の路上に認めるや、私が「おい、中国文学が向こうから歩いてくる」と同行の友人に語ったくらい・・・(以下略)

と言うくだりがあります。
竹内好が中国文学に全身全霊をかけていたというイメージが私の中ではありますが、武田泰淳にとって中国文学は彼の中の一部、と言う気がしました。
勿論、彼は『司馬遷』のようなものを書きましたが、その前に小説家であったんだなぁとも思いました。
しかし、それを差し引いても当時の中国文学研究の一翼を担った人であることには違いない。
戦中、派遣された中国から竹内好らに雑誌の感想を書き送ったりしています。
ちょっと厳しい感想などを忌憚無く書き送っているところを見ると、武田の目を竹内好らも尊重していたことが伺えます。

全編を通して感じたことは、彼の人間としての生真面目さと、それを客観的に見ている武田泰淳自身の軽やかな感じが私にとっては魅力的に映りました。
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