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源氏物語の写本発見

皆様 こんばんは。
源氏物語の写本が新しく発見されたというニュースがありましたね。
私は確か、NHKのニュースで見たのですが、思わず「え~!!」っと声が出てしまいました。
新しい写本の発見で、しかも、今までの内容とは違う部分もあるとのこと。

どこが違うんだろう?
どうして歴史のなかに埋もれていたんだろう。

・・・妄想がつきません。

しかし。
それにしても。

千年紀というこのタイミング。
記念の年にふさわしい発表だと思います。
もしかしてずっと温めていたのかぁ・・・などと思ってしまいます。

どちらにしても、この発見によって写本の柱がもう1つ出来たということで。
もしかして、現代語訳もそれに沿ったものが出たら、面白かろうなぁ。
今後の研究が楽しみです。
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中国言語文化研究会

皆様 こんばんは。
今週末は大学の中国言語文化研究会に参加してきました。
京都の街は祇園祭シーズンってこともあって非常ににぎわっていました。
その模様は写真と共にこちらにアップしましたのでご覧ください。

今回の研究会の発表内容は。

1.『方方の武漢弁使用再考』

方方(1955.5~)は武漢出身の女流作家です。
この時期の知識人にしては珍しく文化大革命中の下放の経験は無いそうです。
長じて湖北電視台で編集の仕事に携わりつつ作品を発表。
当初は武漢弁を使うことは無かったそうですが、『落日』で全編武漢弁の作品を発表しました。
その意義について論じられたものです。

中国語は普通語という共通語があり、日本語と違って方言を話されるとその地域以外の人は分からないといわれていますので、どの程度取り入れたのか、ということに興味があります。
現代においても方言を使って、いわゆる「その人らしさ」を描き出す手法はあると思います。
方言である以上、口語であるという制約は払拭することはできませんので、主に地の文ではなく会話文で取り入れたとのことでした。
方方は生粋の武漢人ではなく、それもあって当初武漢弁を作品に入れることに躊躇したのではないか、と論じられていました。
・・・例えば私は名古屋っ子ですが、他の土地の人が名古屋弁を真似て話しているのを聞くと、あまり好い気はしませんから、そういう遠慮は普通にあると思います。
しかし、ある時期以降あえて方言をつかったということは武漢の情報発信という意味で意義があると思われる、とのことでした。

2.『画師呉友如の創作意識について』

呉友如というのは蘇州出身の新聞画師です。
『点石斎画報』という新聞の挿絵を書くのを生業としていました。
その『点石斎画報』というのはErnest Majorという人が経営しており、西洋人であるがゆえ新聞画師にも西洋的なリアリズムを求めたそうです。
そこで白羽の矢が当たったのが呉友如。

中国の伝統的な画風はシンプルな線で描かれます。
しかし西洋的な画風は遠近法や陰影法などを使って、より写実的に見せるというテクニックがあります。
呉友如はErnest Majorの依頼にしたがって、そのテクニックを見よう見まねで身につけますが、稚拙である点は否めません。
それにしてもこの画師の後世に与えた影響は大きかったと論じられました。

私もこういう近代に向かいつつある中国の所謂「過渡期」と思われる時期に表れたこの画師は心中如何ばかりであったかということを感じました。
時期としては文学革命よりちょっと早く、1884~1898年(創刊から停刊)までの期間のこと。
その時期に西洋とも東洋とも区別することができない、一種奇異に移映るものが表れるのは興味深いことでした。

最後に御大が李鋭の文学について講演をされました。
この講演で一番のテーマは李鋭を魯迅の共通性ということだと思いました。
でも、方方も武漢人である自分のアイデンティティを表現する方法として「方言」を使ったこととあわせ考えると、こういった「孤独感」というのは多かれ少なかれどんな人にもあると私は思います。
ただ、それに真正面から取り組んでいる人はいないのではないか、というのが論者の主張であるように思えました。


以上、3点でした。
私としては非常に興味深い内容でした。
画師の名前ははじめて聞くものだし、ましてや絵画の心得などまるで無いですし。
まったく新しい世界を見せてもらうという意味で研究会はいつも楽しみにしています。

時間の関係で懇親会には出られなかったのが残念でしたが。

《訃報》大野晋さん

みなさま こんにちは。
たった今、仕事から戻り日経の夕刊をめくっておりましたら。

大野晋さんの訃報が。

大野さんといえば、国文学をやってきた私にとってはおなじみの方。
いくつかの書籍でお世話になったものです。

研究者としては現役大学生のときにその名を聞き。
今は《日本語と私》というエッセイが印象に残っています。
日経の記事に井上ひさし氏がコメントを寄せておられます。

『大野さんの仕事は今後も辞書として存在し続けるので僕の中では死んでいない』

88歳というものの残念です。
しかし、幸いまだ読んでいない著作が沢山あるので、これからもその著作から教えを請うことにします。

武田泰淳という人

みなさま こんばんは。
今日は思い立って、名古屋観光をしてきました。
その様子はこちらに写真と共にUPしましたので、ごらんくださいね。

で、こっちの話題はタイトルにもあるとおり、『武田泰淳』というひとについて・・・というか。
これから読んでみたいなぁ、という人のことです。

私が彼の名前をはじめて知ったのは、竹内好の『魯迅』のあとがきか、解説かで彼の名前を見たことに始まります。
中国文学の学者と理解していたのですが、ウィキペディアによると小説家らしいです。

あと、御大の書かれたエッセイにも彼の言葉が引用されていたりするので、いやがうえにも興味は募ります。

日曜日の日経新聞に瀬戸内寂聴が寄せている「奇縁まんだら」というエッセイに先週から武田泰淳が取り上げられています。
自分のうっかりさを呪いたいのですが、先週分は廃品回収に出してしまった後。
今週も危うく相棒に捨てられるところを寸でのところで手に入れました。

今週の記事には。
有髪であった当時の晴美女史とチークダンスを踊る時の様子が書かれてあり、ずいぶんハイカラな方だなぁ、というのがそのエッセイを読んでの私の印象です。

竹内好の場合は『魯迅』から入ったので、是非『司馬遷』を読んでみたい。
聞きかじりの名前ではありましたが、思いがけず寂聴尼の文章でその名前が具体的になりました。
いろんなところにアンテナは張っておくべきだなぁ、と思いました。

転生夢現

皆様 こんばんは。
7月に入り梅雨明けの便りも聞こえてくるようになりました。
名古屋も晴れれば暑い、雨が降れば不快・・・ってわけで、家から出るのが億劫になっております。
そんな折、徒然なるままに手にとったのがこの本。

『転生夢現』(莫言:著 吉田富夫:訳 中央公論新社)

前作までの作品と同じく、上下巻で・・・ざっと900P。
原作ですと奥付に文字数が書いてあると思いますが、日本の習慣ではそういうのはないので。
ページ数で長さを表してみました。

内容は1950年1月1日に始まります。
中国が解放されたのが1949年10月1日。
ですから、解放直後の中国が始まりです。
そこから、50年の中国現代史と共に物語は続きます。

解放前は地主であった主人公が土地革命で銃殺に処されます。
銃殺に処せられた理由は・・・客観的にみれば
「時代」・・・だったんだろうな。
でも、それでは殺されたほうは浮かばれません。
浮かばれず・・・地獄からよみがえり、次々と生まれ変わる・・・というのが話の大筋です。
人からロバ、牛、犬、猿・・・そして2000年にやっと人に生まれ変わるのです。
その50年間を中国の現代史と共に描いてゆくのです。

この前まで読んでいた余華の《活着》と時間の流れが同じように思えたのと、この50年は私にとっては非常になじみがある、というか一応真面目に取り組んでいる時代なので、大変興味深かったです。

語り手は転生する主人公なのですが、最後の最後でおちをつけるのは作者である莫言。
登場人物の一人として彼が出てくるのです。
アイデアとしては面白いんですが、この登場のさせ方は私としてはちょっと引っかかるところです。
好みの問題ですが、ちょっと馴染めない感じがします。

まぁ、それを差し引いても主人公が次から次へと生まれ変わっていく様は読者を飽きさせませんし。
自分が殺された意味を求めて生まれ変わろうとする生への執着は『哀しさ』を感じさせられます。
時代に翻弄されて生きてゆく人々の哀しさも、また同じように感じられます。

それから、作品の中でしっかりとした自分を持っている人物がいることが、ストーリーに安定感をもたらしていると思います。
自分の死の意味を問うという一貫した意思を持って何度でも生まれ変わったの主人公と革命後も個人経営農家として自分の意思を貫いた藍脸。
この二人は作品の重要な背骨となっていると感じました。

私にとっては莫言のそのほかの作品よりも読みやすい気がしました。
この人の長編は重くて疲れるのです。

そして最後に訳者について。
訳者あとがきで御自分の奥様に対しても謝意を示していらっしゃるのが、素敵に思いました。
奥様のことをお話になるときの様子がふと思い出されて。
多分今後もこの本を開き「あとがき」を読むたびになんとなく心があったかくなる気がします。

7月の始まり

皆様 こんにちは。

・・・暑い週末です。
なんというか、蒸し暑い。
曇っているので、ジリジリと暑いわけではないだけに、気だるい感じ。
暑いのも寒いのも嫌いな私ですが。
暑さの方がなお辛い。

PCも暑くてたまらないのか、熱を放出しまくっているのがよく分かりまする。
私のはノートPCなので、本体の下にカイモノをして机とPCの間に空間を作り。
少しでも涼しくしてやろうと配慮しているのであるが。
カイモノに使っている本が・・・こんなことに使ってはバチが当たりそう・・・。
まぁ、背に腹はかえられない・・・ってことで。

今週は久しぶりに中国語に行こうとしましたら。
先生が海外出張に行ってしまい、2週連続のお休み。
おまけに今月は私も京都に行く週もあったりします。
お互い本業もあり、家庭もあり。
その合間をぬってなのでいたし方ありません。

家で巴金の続きをやることにします。

・・・しかし、この暑さ(熱さ)は何とかならないのか。
PCに本文の抜書きを入力しているのですが、中国語入力にイライラ。
(これは私の実力によるものだと思います)
手書きのほうが早いかなぁ・・・・
でも、先生いわく
「最終的にはPCで書くんでしょ?だったら引用文を再入力しなくてすむからきっと楽よ~」

・・・う~ん、慣れるまでの辛抱か。



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