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決算時期には


皆様 こんばんは。
わが社は8月末で決算を迎えます。
決算時期というのは移動の時期でもあります。
・・・ってわけで。
ワタクシ、移動することになりました。
今までいた部署が不採算部門だったので、清算することになったのです。
同僚の中には。
自ら辞める人。
契約満了で退職する人・・・それぞれですが。
私は別の部門に移動することになりました。
今はこれまでの仕事の残務整理をしております。

部門整理が決まって半年間。
モチベーションが下がるときがあったことも否定しませんが。

こういう環境で、人はどんな行動をするのだろう。
組織はどのように事態を収めるんだろう。
この環境を第3者はどう見るんだろう。
自分はそれに対してどう思うんだろう。

・・・そんなことをいちいち確認しながらすごしてきました。
(性格悪いぞ)


幸い、私は引き続き組織に残ることが出来ましたが。
やっぱり、割り切れないものを感じます。
これまでとまったく違った役割になりましたが。
とにかく、食べていかなきゃなりません。

あっさりと「心機一転」といえるほど、単純なものではありませんけどね。
頑張ります。


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B・メイさん博士号取得

皆様 こんばんは。
昨日は本当に過ごしやすい日でしたが。今日はまた夏に逆戻りしてしまいました。
暑い~~・・・
でも。
夜になるとコウロギの鳴く声が聞こえてきて、もうまもなくやってくる秋を感じさせてくれます。

今日、日経新聞夕刊に。

B・メイさん博士号取得http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-27063920070726
(リンクはロイター電の記事)
が載っていました。

新聞の記事によると。

『メイさんは1974年、「黄道帯の塵雲(じんうん)における視線速度』と題する博士論文を書き始めたが、クィーンの活動が軌道に乗ったため中断。三十数年のブランクを経て、昨年執筆を再開し、四万八千語に上る論文を書き上げた。』

三十数年のブランクをものともせず、論文を書きあげたなんてすごいですよね。
しかし。
イギリスの大学って何年在籍できるんでしょう?
日本の大学だと在籍できる年数が決まっていて、それを過ぎちゃうと再入学しないといけなかったんじゃないかな。
・・・ってことは、もしイギリスの大学のシステムも同じだったら、彼は何度再入学したんだろう・・・。
それとも別にシステムがあったのかなぁ・・・とか。
学費はどれくらいかかったんだろう・・・とか。
そういう現実的なことを考えてしまいました。

それにしても30年以上も自分の勉強を忘れなかった彼は本当にすごい。
別の分野で活躍しつつも、自分のルーツを忘れなかったということなのでしょう。
・・・見習いたい。

私は、といいますと。
仕事・家庭という基本を押さえた上で勉強をするのが、私の目指す「社会人学生」の姿。
だから勉強とは細く長いお付き合い、ってことになるんだと思います。
これまでもそうだったように、これからも自分の立ち位置を確認しつつバランスを取りながら、やって行きたいなぁ、と思うわけです。


東京夢華録

皆様 こんにちは。
名古屋は暑いです。
本当に暑いです。マジで暑いです。
早く秋が来ないかなぁ、と思っておりますがまだまだ先のようですね。
夜も蒸し暑いったらないですもの。

ところで先日、本を購入しまして。
珍しく私が「古典」などというものに足を突っ込んでしまいました。

『東京夢華録 宋代の都市と生活』
 平凡社 東洋文庫598
孟元老 著 入矢義高・梅原郁 訳注

「東京(とうけい)」というのは宋の都 汴京(ベンケイ)の人々の生活の様子を描いたものです。
その内容は都市の名所や店舗などの名称や位置を述べたり、年中行事、風習などです。
なんだかガイドブックを読んでいるような気になりますよ。
私が面白いなあと思ったのは「元旦の朝賀の儀」の項かなぁ。
元旦には諸国の使者が参内し貢物を献上すると書いてあります。
それぞれの国の使者の服装や有様が書いてあって、都の華やかさが感じられます。
それから、飲食店や市場について書かれた部分も興味深いです。
やっぱり生活の有様を読むと当時の人がより身近に感じられますね。
この時代の白話を私には簡単に読むことができないので(・・・講義では訳が課せられましたが)翻訳でなおかつ注付きで読みました。

全部を理解するのはなかなか骨の折れることですが、勉強とは離れた「道楽」ですので、さらっと読んだだけですがたまには違う時代のものに触れるのもいいなぁ、と思って興味深く読みました。

ゴダイゴ

皆様 こんばんは。
今日、ミュージックフェアでゴダイゴが出ていました~~!!
私。
ゴダイゴがかの名曲「ガンダーラ」を歌っていたころ。
小学校4年でした。

初めて聞いたその日から。

ゴダイゴのかっこよさにノックアウトされたワタクシは。
発音できない英語でモンキーマジックなどを歌ったものです。
(いまだに英語は苦手なので、メロディーに歌詞がついていかず、字余りになる私)

久しぶりに聞きましたが。
やっぱりかっこいい。


・・・・本当は他のネタで書いていましたが。
保存しようとしたら記事が消えてしまって大ショックなので。
心の叫びを書いてみました。


・・・タケカワさん。ゴダイゴでまた新曲を出してください。
(NHKの天才テレビ君でタケカワさんのアレンジの曲が聴けたときは毎日見たんだけどなぁ・・・今はなぁ・・・)

名古屋の名所

皆様 こんばんは。
名古屋の名所って言われてどこが思い浮かびます?
名古屋城・駅前のツインタワー・東山動物園・・・などありますが。
私的にはテレビ塔も名所のひとつに数えたい。

・・・ってわけで(?)今日はテレビ塔に上ってきました。
テレビ塔のある栄地区は名古屋のショッピングタウン。
デパートが3つ、地下街、東急ハンズ・ロフトなどがあり、一日中ショッピングが楽しめます。
今日はお休み最終日なので息子のサッカーシューズなどを購入するために行ってきました。
そのついでに。
テレビ塔です。

私の生まれは愛知県尾西市(今はもうありません)ですが。
育ちは栄の真ん中。
テレビ塔を見て育ちました。
テレビ塔が立つ久屋大通公園は小さいときからの遊び場であり。
高校のときはテストなんかで昼ごろ帰ると帰宅途中で補導される(地下街が通学経路だったため)・・・という街っ子です。
なので、テレビ塔を眺めることはあっても上ったことは・・・あんまりありません。
ですから、久しぶりにテレビ塔にも上ってみようと息子と企てました。

そしたら。
数年前に上ったときはあんまり綺麗ともいえなかった場所が。
すっかりおしゃれな大人の空間になっているではありませんか。
4階には高級そうなレストランがあり。
以前は階段で上ろうとする人とエレベーターを使う人が半々くらいいたと思うのですが。
今回は我々だけ。
途中誰ともすれ違うことなく展望台までのぼり、降りてきました。
展望台にある望遠鏡は。
100円(だったかな)いれて見る双眼鏡ではなくなり。
画面で風景が見られるものに変わっておりました。
ガラスの前にはベンチもなにもなかったのですが。
二人がけのソファやテーブルが置かれてカップルが仲良く座れる感じ。
(そこで息子と二人でジュースを飲んできました←色気なし)

しかし、いくら展望台を綺麗にしようとも。
入り口をおしゃれにしようとも。
変わらないのが。

塔を上る階段。

相変わらず、階段の段と段が間が空いていて向こう側が丸見え。
はっきり言って。
かなり怖いです。
展望エレベータで上がるのも悪くはありませんが。
名古屋でテレビ塔を楽しむならやっぱり階段で上がっていただきたい。

ただ。
高所恐怖症の方、
運動不足の方はご注意を。

間違いなく、足がガクガクになります。

夏休みの一日

皆様 こんにちは。
お盆休みで「宿題やらんか、をい!週間」を迎えているpiaopengです。
昼間はまだまだ暑いですねぇ。
でも、昨晩はコウロギらしきものの声が聞こえてきましたよ。
お盆を過ぎると、ちょっとずつ秋の気配が・・・ってことになるといいのですが。

皆様はお盆をいかがお過ごしですか?
私は先ほど申し上げましたとおり、夏休みの宿題で「自由研究」や「美術」などといった息子が極めて苦手とするものを、このお盆休みでやらせてしまおうと思っております。
一学期はいろいろあって、どうも調子に乗り切れないまま終えてしまって親としては後悔・後悔。
だから夏休みで何とか立て直したいんですよね。

ついでに。
家の片付けも。
いらないものを片付け。
急いで読まない本はダンボールにしまいました。

・・・そしたら、残った本は。勉強に使う「工具書」ばっかり。
なんとも潤いのない書棚になりました。

でね。最近特に思うのは。

中国語力の低下 なんですよね。

自分で読んでいる分にはあんまり不自由がないと思っていたのですが。
いざ、翻訳しようと思うと。

手が止まる・・・(ーー;)

自分は今まで何を読んでいたんだろう、とちょっとぞっとしております。
中国語をお休みして久しいからなぁ・・・。
もう、かれこれ5ヶ月になるんですよね。
そろそろ復活したいんですけど、通うのはまだちょっと自信がないんです。
もうちょっと子供が落ち着くのを見届けてからかな。

だから、ずっと前に通っていたところで通信の翻訳コースがあるので、手始めに始めてみようかと思っています。
一旦、遠ざかると本当に力の低下を実感します。
それから、やっぱり私は何かに追われてないといけないみたいです。
忙しい人のほうが仕事が早いって本当だなぁ。
だって中国語に通っていたときの方が、もっともっといろんなことができていたような気がしますもの。
今は余裕はあるけどあんまり何もしていないです。

中国近世の口語小説

皆様 こんばんは

本来なら、今日から京都のはずでした。
でも今回ばかりはお休みが取れず・・・ってか、もともと「もぐり」だったこともあって、優先順位的に仕事が上位となってしまったのです。
1930年代の雑誌を取り上げるというテーマだったのにぃぃ~~~。
でも、今回の先生の学習会には参加するつもりなので、そのときにいろいろ教えていただこうと思っております。

さて、気を取り直して。
毎月、学校から送られてくる冊子を見ていたんですけど。
その中に「研究室訪問」というコーナーがございます。
毎月一人の先生のインタビューが載っております。
(全ての学部の先生が毎月インタビューされております。うちの御大も以前、このコーナーに登場しておりました。詳しくは、うちの大学名とコーナー名を検索すると出てきます)
今月はわが中国学科の先生でした。
その先生は近世の口語小説がご専門で「金瓶梅」をご研究されております。
そう。
近世の口語文学と言えば。
今を去ることと2年前。
初めてのスクーリングでこの先生の講義を受け。
あまりに高度な内容に。
「とんでもないところに来ちゃったなぁ」
と独り言が出ちゃったものです。

でね。
その先生がおっしゃるには。

「近代以前の中国口語小説の特徴に、原作者には著作権がなく、出版のたびに自由に書き換えられてきたという点が挙げられます。」

ここでも書き換えなんだ・・・。
一言で書き換えといっても時代によってもいろいろあるんですねぇ。
この場合は、書き換えた人が複数いるってことですね。
日本の写本と同じイメージかな。
現代の場合は作者が書き換えているので、ちょっと視点が違うかもしれませんね。

私が一番仲良くさせてもらっている友達は、同じ学校の通信制大学院に在学中ですが。
彼女も修論で「書き換え」をやるそうです。
彼女の場合は老舎なんですけど、これまた現代なので書き換えを行った人は作者本人です。
(以前、ここで紹介した版本研究の本が大活躍です♪コピーしてあげたら大変喜ばれました。)

そして最後に。
読書というものについて、このようにおっしゃっておられます。

読書は、豊かで人間的な知性の贈り物。読んだ文だけ自分を成長させてくれる存在だと私は思っています。

・・・・肝に銘じ、ネットや電子辞書に頼らず地道に取り組みます・・・。

底力

皆様 こんにちは。
夏らしい日になりましたね。
今日は午前中、美容院に行ってさっぱりしてきました。
もう2ヶ月近くも放置してありましたので。
最近、苦労が多い(?)のか白いものを指摘されることが多く・・・。
本当に、ここ最近のことなんですよ。だって、前々回美容院に行った時には美容師さんに。
「本当に白髪の一本もないねぇ」と、言われたばっかりですもの。
一年ほど前に黒髪に戻してみたんですが、またカラーリングをしてみました。

「(今のカラーリングは白髪には色が乗らないものもあると聞いたので)白いのも染まりますよね」と口走ったわたし。
あぁ・・・こうやって年を重ねていくのね・・・(涙)

今日の御題は。

『近代中国の思想世界ー『新青年』の群像ー』
(岩波書店 野村浩一:著 1990年)

《新青年》のダイジェスト版を手に入れましたから、あわせて読んでおります。
著者の略歴を見ますと。

1930年京都府に生まれる。1953年東京大学法学部卒業。現在立教大学法学部教授。中国近代・現代政治思想史専攻。
中国近代の展開の過程を政治と思想の接点に探り、その特質を西洋・日本との幅広い比較と強い現代的関心のもとに究明している。

・・・とあります。
そのせいか、文学というよりは社会科学分野が主題となっております。
昨日、紹介した『回眸《新青年》』の社会思想・哲学思潮の2巻が関係しております。

でも。
こんな事を言ったら。

プロの研究者を舐めるな!と言われそうなのを承知で申し上げますが。
古代中国の思想にも半端でない知識をお持ちなんだなぁ・・・と思いました。

す・すみません・・・失礼の段、平にお許しください。
と、申しますのも。

第2章『新青年』の世界・その重層性

の一部分。

李大の「青春」は、その思考の構造において、さらには思考の用具としての「語彙」において、むしろ驚くべき伝統的である。

とあります。
つまり自らの思考の先進性や過去の伝統からの呪縛を脱することを訴えようとしたのにも関わらず、「孔子や荘子が思考の骨格を形づくっている」ということを表しております。
それとあわせて。
私はテキストで以前、文学革命の胡適の「八不主義」は伝統的な文言を否定して白話を用いることを提唱したものであるが、そのもの自体は文言で書かれていた、というのを読んでその知識を得たわけですが。

それらはつまり。

文言と白話の区別が知識としてだけではなく身についていないとこんなことに気がつくわけないんですよね。
同じように、「語彙」が伝統的であるかどうかって事も。
そもそも伝統的な語彙を知らなきゃ、気がつくわけもない。
テキストに関して言えば、それを勉強したとき、「へ~、そうなんだ」と思って。
単位を取るのに必要だから覚えたには覚えたんですが。
それ以上の事なんて考えてなかったなぁ。
テキストでさらりと書いてあることも、それを発見するまでには途方もない身についたものの蓄積があったのだろうと・・・あ~、気が遠くなりそうです。

でも、ある古典の先生はおっしゃいました。

「先人が発見して定説となっているものは知識として使えばいいのです。」

そうですよね。全てを自分でやろうなんて考えたら(そんなことは不可能ですが)辞書ですら使えなくなってしまいます。
それを踏まえてもな、う~ん・・・凄みを感じてしまいました。

私のテーマは「書き換え」なんですが。
違いに気がつくというのは、勉強の「基本のキ」なんだと思います。
文献の比較はその文献の位置づけが分かってないと違いを取り出せても、違いの意味するところが分からないんですよね。
だんだん、気が遠くなってきました。
でもまずは「中国語」なんだろうな。
なんたって、ツールですもんね。


回眸《新青年》

皆様 台風は大丈夫だったでしょうか。名古屋は湿った空気に包み込まれましたが、雨・風共にたいしたことはありませんでした。 さて昨日、東方書店に注文してあった『新青年』が届きました。・・・といっても原版ではなく、内容によって3冊に分けられたダイジェスト版です。

『回眸《新青年》』(河南文芸出版社 張宝明・王中江/主編 1998年)

これを購入したきっかけは巴金の『家』に《新青年》という雑誌名が多く現れていたということがあります。
だから現物が見たくなって購入しました。
この小説で関係がありそうなところはジェンダーの問題について取り上げた部分かなぁ。
女性の教育とか婚姻といった問題に言及した文章がいくつか見られます。
与謝野晶子が周作人(魯迅の弟)によって紹介されているのもありますし、翻訳関連では他にイプセンの『人形の家』も見られます。

巴金と関係すると思われる内容はエスペラント語に関するものとアナキズムかなぁ・・・といってもキーワードが同じだからってのに過ぎません。

私が関心があるのは文学革命部分と注音字母といった音韻関係。

魯迅に関心がおありになる方は『狂人日記』もこの雑誌上で発表されたものです。
その1年半後、『狂人日記』に関連した文章が掲載されたりもしています。
『狂人日記』を全集で見ると作品としてしか見られませんが、雑誌に掲載されたものを見ると時代が感じられます。
魯迅の数ある作品の中の一作品として見るのなら全集で見るのでもいいと思いますが、時代の中の一作品としてみるのなら、雑誌に掲載されたものを見るのもいいんじゃないかなぁ、と思います・・・となると。
『家』も『時報』でも見ないといけないかなぁ・・・。

巴金がこの雑誌をリアルタイムで読んだとしたら11歳から18歳の時期。
私の感覚だとちょっと早熟のような気がしますが、当時としてはどうだったんだろう。
普通だったのかなぁ。
そんなことを思いながら昨日からめくっております。

出版説明で興味深い文章を見つけたので翻訳してみようと思っています。
ご紹介できればまたここで紹介しますね。

・・・という記事をさっきから2度にわたって書いております。
2度とも消えてしまってショック!!
3度目はもうイヤなので、メモ帳に書いて貼り付けるつもり。
だんだんボリュームが少なくなってしまいました・・・。


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