シラバス届く

★春らしい花のひとつにタンポポがあります♪

最近は春以外でも咲いてますが。


皆様 今晩は

そろそろ3月もおしまいに近づいてきましたね。
4月からは新年度。
私は秋入学なので進級はしませんが、年度変りということで学校から今年度の講義シラバスが届きました。
テキストはまだいくつか取りこぼしがありますが、スクーリングはあと2科目を残すのみ。

残している講義はこれまで夏に開講されていたのですが、今回は春の講義に開講されるスケジュールとなっていて参加しやすくなりました。
やっぱり平日に3日も休んでいくのは仕事に差しさわりがないでもない・・・。
この講義はそれで取りこぼしていたということもあって、今回の措置は非常にありがたかったです。
みんなそれぞれに都合をつけやすい時期ってあると思うのですよね。

今年のねらい目は。

『三十年代の文学研究』
巴金の活躍時期とかぶりますから。
でも、取り上げるのは1932年に上海で創刊された《現代》という雑誌。
巴金は時期は同じでも雑誌名が《时報》なので聞けるかどうか・・・。

『白話文運動研究』
五四運動から30年代の大衆語運動まで。
これも時代的に私も関係があります。

これらの講義にもし行けたら行きたいなぁ。
でも・・・学校としてはすでに単位取得済みの講義ということもあるし、仕事にしても夏の一定時期休むとなると差し障りがあるのであんまりおおぴらにいえませんけど(笑)

あとは昨年度の学習会の記事に書いた《十三年》を取り上げられる講義もありました。
学習会に参加した学生の中には2回目という人もいるかもしれません。

・・・ってことはですね。
先生方はおそらく1年くらい前から次の年の講義内容を考えていらっしゃるってことですよね。
そうして通学・通信の講義。大学院の講義。論文指導・・・もろもろのお仕事をされながらご自身の研究もされるという・・・やっぱり大学の先生って超人かもしれない・・・と思う出来の悪い学生の私でした。
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小説の中の方言

★徳川園で池の傍に立ったら寄ってきました。
えさはないよ~~

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皆様 おはようございます。
大変な週末でしたね。地震の被害にあわれた方は大変でしょう。
しばらく晴れた日が続くといいなぁ、と思います。
雨は、地震で緩んだ地盤への影響が心配だし・・・何よりこういうときの雨は気が滅入りますよね・・・。

私の週末ですが。
早く読みたい」の記事で書いていた本が、届きました。
4月中旬だったのに、なぜ早く届いたか?
これと一緒に、その2・3日前に頼んだ「中国語ジャーナル」の「インタビューセレクション」が届いたところを見ると、送り先がいっしょだったからかなぁ。

じゃぁ、なにかい?
在庫はあったわけだ。

1冊だけだったから後回しされていたのかなぁ。。。なんていったらちょっと意地悪かなぁ(笑)
とにかく、早く届いてよかったです。

九月の寓話』(張煒/著 坂井洋史/訳 彩流社 2007年)
この本、好きな作家であったというわけではありません。
むしろ、購入するまでどんな人かも知りませんでした。

私が読みたかったのは、「訳者解説」
この項に小説の中の方言の取り扱いについて解説が述べられているからです。

私が今見ている作品の修改について、以前「葉聖陶の場合」という記事を書いたときに

中国語は五四運動から始まった文学革命により白話で書かれるようになりました。
しかし、それまで書かれていた文言を完全に払拭できるものではなく、古白話や近代白話、西洋化した言葉まで入り混じる文章だったそうです。
その上、この作品を書く前まで葉聖陶が生活していた地域の方言の影響も受けていました。
それを50年代の規範化にのっとって変更を行ったのです。

と書きました。
過去の作家が規範化の流れに沿って捨ててきた「方言」という表現と、現在、張煒などの当代の作家が改めて書いている「方言」を使った表現方法に違いはあるのかな、中国文学における方言の取り扱いってどのように変わってきたのだろうか、ということを思いました。

短絡的に思ったのは自分自身に対する「自信」
日本も戦争に負けてから外国の摸倣のような時期があり、それから経済の発展に伴って自信をつけ、今は「日本」を前面に押し出した文化を作り出す・・・という流れになっているという印象があります。

でね、「方言」も自分自身を表現する一つのツールだと思うのです。
私は生まれも育ちも名古屋ですので、言葉は「名古屋弁」食べるのは「味噌カツ」「味噌煮込み」野球と新聞は「中日」(笑)
・・・それはさておき、方言を使うと飾らない自分を表現できるような気がするんですよね。
規範化以前に書かれた方言というのは、私が無意識に話す名古屋弁。
たとえば
「机をつる」・・・学校の掃除の時間、机を教室の後ろに移動させること。
「放課」・・・授業と授業の間の休み時間のこと。だから「放課後」の意味が最初は分かりませんでした。いわゆる「放課後」は「授業後」かなぁ。

これを公の文章に無意識に記述。その後、共通語に明るい人に見せたら「これ、皆に分かるように書き直して」って言われたのが五四運動から規範化後の流れで。
最近の方言の取り扱いは「この言葉は方言」と、書き手がその独自性を強く認識した上で書くものではないかなぁ、という印象を持ちました。
当代文学における「方言」は多分、「計算された方言」「使うべくして使った方言」のような気がします。

で、ここで思考が止まっては文学勉強中、とはいえませんね。
このことに限らず、こういう思い付きの証拠を原典などから沢山見つけてきて、それで皆さんを納得させるように書く。
論文ってそういうものなのかなぁ・・・と思って。
ずっと長いこと考えていた「論文」と「感想文」「レポート」の違いにひとつの結論が出たような・・・これはおまけだけど。

ちょっと落ち着こう

★多分今日には咲いていると思います。
(背景の木にピントがあっているような・・・)
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皆様 こんにちは。
語学の勉強と聞いてどんな方法を皆さんは思い浮かべますか?
私はこの数年間、中国と聞けばいろんな分野に手を出してきました。
音楽を聴いて中国語を学ぼう、とか。
映画から学ぶ中国語とか。
新聞を定期購読すれば中国語が学べるかなぁ、とか。

それはそれはいろんなことをやってまいりました。
でも。
音楽はメロディが美しければいい。
映画も好みに合えばそれでいい。
新聞は・・・たまると大変・・・で、結局、続きませんでした。

一番ためになったなぁ、と思ったのは暗記。
フレーズを一まとまりで言えるようになるまで口を動かし・・・そうすると結果的に覚えることになります。
そうすると、文章を読んでいても流れが掴みやすくなるような気がするんですよね。
これを4年続けたお陰で、かなりいろいろなものが読めるようになってきました。。。と、これは大きなメリット。

でもデメリットもあって。

暗記することだけが自分の勉強の目標になってしまったこと。

このことに最近、違和感を覚えています。

私はなんで中国語をやろうと思ったのかなぁ。
翻訳がやりたかったからではなかったのかなぁ。
でも暗記をするようになってから、辞書を引くことがめっきり減ってしまったのです。
暗記は確かに効果的でしたが、詰め込みではなく、咀嚼する時間が欲しくなったのです。
最近、勉強時間の大半「読む」(念ではない)ことにあてているので余計にそう思うのかもしれません。
久しぶりに辞書を何冊も引っ張り出して読む勉強に新鮮さを覚えているからです。

勉強って。
自分の情況(レベル、目的)によってやり方を変えていかないと前に進めませんね。
それを間違いなく判断できた人が大成するのだと思います。
沢山ある材料の中から自分に必要なものを選び出して使いこなさないと。

そのためには変わる勇気や捨てる勇気って必要だと思うんですよね。
なんだか欲張りすぎて、何もやってこなかった感じがします。

忘れた頃に送られてくる。(From中国)

★こんなものをうちの親父は作っております。(陶芸が趣味)
弟宅の犬がモデル~~♪

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皆様 おはようございます。
引き続き書物ネタですが。
ワタクシ、欲しい本があると見境がなく購入してしまうところがございまして。

日本の書物はまだいいんです。
ちゃんと発送予定日を指定してくれるので後から確かめることも可能です。
しかし。
問題は中国語書籍。
今、取り寄せ中になっているのが一冊。
これはもう・・・かれこれひと月以上「待ち」の状態です。

以前、北京晩報を定期購読したときも、事情が分からないまま値段だけ見て「船便」にしたところ、1ヶ月遅れの北京晩報が1ヶ月分まとめて送られてきてびっくりしました。
でもね・・・こりゃ、読む気もうせる・・・ましてや中国語だし。
一年購読してて良かったことは、ただひとつ。
たまたまその年に巴金が亡くなりまして、北京晩報の特集記事が生で読めたこと・・・かな?

そういうわけでいつ手元に届くか分からないので中国書籍の場合、見つけたときに即注文・・・しても、忘れた頃に中国からの郵便が届き。
「なんだこれ?私、こんなの買ったっけ?」
・・・ということが間々あります。

前フリが長くなりましたが。
昨日も届いたんですよ。
中国から・・・ってか東方書店を経由して頼んだもの。

『巴金研究』(季刊/泉州黎明大学巴金研究所)
普通 4,725円 航空 5,460円

これは季刊の雑誌なので、中国だから遅い!って訳でもないと思いますが、びっくりしました。
いつ注文したのか全く記憶にないんですもの。
でも、巴金が届いたってことは間違いなく私が注文したものだと思います。
せっかく届いたのでぼちぼち読もうかと思います。

それもそうなんだけど、中国から雑誌を送ってもらう時にいつも思うのですが。
封筒の口が糊付けされていないんですよね。
折り返しが日本の封筒よりだいぶ大きいので、それを内側に折り込んであって、簡単には中身が出ないようになっていますが、いつか空封筒だけが届く日が来るような気がします。

でも、自分の注文したした商品について把握していないなんて危険ですよね。
他のネットショッピングの場合は良く考えてから注文するので忘れることはないのですが、本のこととなると見境がなくなってしまいます。

早く読みたい

皆様 おはようございます。
昨日は春らしい日でしたね。
窓を開けておりましたが、それでもあまり寒くない感じ。
昨日取り上げた論文を読みつつ、訳しつつ・・・自分のペースで進められるというのは、通信制学生のメリットのひとつかもしれません。
今、私が読んでいる本はほとんどが中国語で書かれたものなので、日本語に比べてどうしても理解が浅くなりがち。
でも、訳したり、抜き出したりする作業そのものが中国語の勉強になり楽しかったりします。

でね、心に余裕があると、いままで読めずにいた本のことを思い出したりしませんか?

でも、その本が。
4日たっても5日たっても届かない。
アマゾンっていつも早く送ってくれるのになぁ。

何でだろう、と思って、注文受けメールを見たら発送予定日が4月中旬になっているではありませんか!
本当は今すぐ読みたいのにぃ~~~。

書店で買えばいいんでしょうけど、中国文学の翻訳ってあまり大々的に売ってないんですよね。
(御大が訳されたのは丸善で平積みされていてびっくりしました・・・が、これは稀なことだと思います)
なので、ほしい本はもっぱらアマゾンなんですけど、こんなに待たされるのは初めてだなぁ。
在庫がもう無かったかなぁ・・・そこまで確かめなかったのは迂闊でした。

でも、すぐ手に入らないとなるとますます欲しくなるってのは人情じゃないですかね?
あ~・・待ちきれない。



葉聖陶の場合

★ ムスコの卒業式の日。綺麗な花を咲かせてくれました。
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皆様 こんにちは。
今日は春分の日。週半ばのお休みはうれしいものです。
今日もゆっくり勉強をしています。

私の卒論は版本研究。
自分の作品の書き換えを行ったのは巴金だけではありません。
葉聖陶もその一人。
ただ葉聖陶は内容を変更するような書き換えはしなかったと理解しています。
巴金は作品の内容に関しても書き換えを行っていましたが、葉聖陶と同じ視点でも書き換えを行っているので、参考にするのは意味のあることだと思ったのです。

参考にした論文は

中国現代文学長編小説名著版本校評
(金宏宇/著 人民文学出版社)

この本の第2章に《倪焕之》が書き換えられた経緯について書かれています。
葉聖陶の場合、重要になるのは1955年の全国現代漢語規範化問題学術会議です。
それまでの中国語は五四運動から始まった文学革命により白話で書かれるようになりました。
しかし、それまで書かれていた文言を完全に払拭できるものではなく、古白話や近代白話、西洋化した言葉まで入り混じる文章だったそうです。
その上、この作品を書く前まで葉聖陶が生活していた地域の方言の影響も受けていました。
それを50年代の規範化にのっとって変更を行ったのです。

私はこの「方言の影響」という点に注目しています。
なぜなら、今だまだ見つけられないのですが、巴金の《家》についても彼の出身地である四川方言の影響を受けていた、という記述をどこかで見たような気がするのです。
役に立ちそうな記述に関してはノートに書き出すようにしているのですが、このときは忘れてしまっていたようです。
巴金も前エントリで書いたように3つの文字について用法を修正しています。
一口に「修改」と言ってもいろいろなポイントがあります。
書き換えられている部分を見比べていくといろんな種類が出てきて、他の作家を参考にすると理解が深まるような気がします。

"的""地""底"

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★水仙です。お使いで郵便局に行った時、見つけました。

皆様 彼岸の入りだというのに寒いですね。
今日はムスコの卒業式。
最近は「蛍の光」とか「仰げば尊し」なんて歌わないのかしら・・・。
でも、感動的な卒業式でした。
特にうちの子はいろいろ健康面で不安を抱えておりますので。

よく、まぁ、ココまで大きく育ってくれた

というのが偽らざる気持ち。
でも、勉強?・・・まぁいいか、と目をつぶっていられたのも小学生までよ(;一_一)・・・(^_^;)

仕事はお休みを頂いて卒業式に参列したので、今週は3連休と相成りました。
それでちょっと私の勉強も進めようかな、と取り組んでおります。

ご存知のとおり私の対象は「巴金」
《家》の書き換えを中心に見ております。
その中で今日、取り上げるのは、タイトルに書いたとおり

"的""地""底"

現代中国語の
"地""得""的"と対応します。

この3文字はいつの時代に使われていたかといいますと、五四運動から1930年代にかけて使われました・・・ということを巴金が書いている文章を見つけました。

その文章にはこうあります。

我平素写文章时把 "底"" 的"" 地" 三字的用法分得清楚;"底"字作名词所有格的语尾,"的"字作形容词的语尾,"地"字作副词的语尾。(这种用法并非我所创始,在五四运动以后的几年间颇流行)

私は平素文章を書くときに"底"" 的"" 地" の三文字の用法をはっきりと区別しております。
"底"は名詞所有格の語尾を作り、"的"は形容詞の語尾を作り、"地"は副詞の語尾を作る。
(この用法は私が作り使い始めたものではありません。五四運動以後の数年間、非常に流行したものです)

この文章は巴金全集6巻《愛情的三部作》の序にありました。
後に現代中国語の用法が現れてからこの時代に書かれた文章は現代中国語の用法に合う様に書きかえが行われます。
巴金は《家》だけじゃなく、他の作品においてもこの三文字について述べているのですねぇ。
どの作品にも満遍なく手をかけていたのですね。。。

★試みにエントリしてみました。
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ICレコーダー

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★ちょっと天気が悪い時に撮りました。
満開の桜・・・ではなく梅だそうです。
名古屋市の広報誌に「桜」と紹介された後に「梅」であることが発覚。訂正記事が掲載された木♪

皆様、こんばんは。
一週間って本当に早いですね。
特に月半ばから月末にかけては仕事が立て込む時期なのでいつの間にやら一日が終わっております。

そんな中、来週はムスコの卒業式。
小学校ともこれでお別れです。
そういえば、ムスコの小学校卒業と私の大学卒業が当初の目標では一緒になるはずでした。
それがいつの間にかムスコに追い越され・・・本当に親の面子丸つぶれです(涙)
それでもムスコは優しくこう言います。

「しょうがないよ。ママは忙しいからねぇ」

・・・そんなに優しくしないでよ。余計惨めになるじゃないか・・・。

まぁ、そんな話しはともかくとして。
語学を学習する上で欠かせないのがリスニング。
皆様はどんな機械を使ってリスニングの勉強をされていますか?
教材についてくるのは大抵、CDなので車の中で聞く時にはカーステレオ。
家で流す時はPCで聞きます。
だけど問題なのは中国語のレッスンで使った教材の録音。

いや~、お恥ずかしいんですけど、私。
未だにテープを使っております。
テープだと聞きたいタイミング巻き戻しや早送りが可能だし。
壊れてもいないのに買い換えるものどうかと思ってそのまま使っておりました。
でもさ、私の通っている教室でもそんなものを使っているのは私くらいなもの。
多くの人は「ICレコーダー」なるものを使っております。

先週のレッスンでそのことを同学にふと聞いてみましたら。
なんと、私のために日経(2月17日)のICレコーダーの特集記事を切り抜いて持ってきてくださったではないですか。

PCに接続できる機能があるものや録音時の雑音をカットするもの、テープ起しをする際に役立つ「早聞き、遅聞き」機能のあるもの、実に様々です。
驚くべきことに翻訳機能があるものまであります。

勉強に使う機器も日進月歩。
テープレコーダーの大きさにいささか閉口しているので、今使っているものがいよいよお釈迦となったら次は新しい機器に挑戦してみよう。
だって・・・レッスンのときの録音ボタンを押す時、みんなは「ピッ」という電子音なのに私は「ガシャン」という不躾な音。
しかも、レッスン途中でテープの入れ替える音まで入ってしまっているでしょう。
この雑音、耳障りじゃないかなぁ。
みんな、優しいから何も言わないけど・・・。





言葉のイメージ

★徳川園のお庭にありました。
sachiさんのところにも同じようなお写真がありました。
http://a-scientist.jugem.jp/

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皆様、こんにちは。
今日はちょっと風が強いです。。。

昨晩、時折気に掛けてブログを覘いてくれる友人が、メールをくれました。

以前、じんちょうげのお写真をのせたときのコメントについて。

じんちょうげの「におい」っておかしいんじゃない?
「におい」って良くないときに使うと思うんだけど。
良いときは「かおり」がふさわしいんじゃない?

・・・言われて見ればそうかも・・・。
その方はご自分でも詩をお書きになるので、言葉に関してはかなり鋭い感覚と、お考えをお持ちとかねがね思っておりましたので、言われることには一応、納得。
納得した上で、調べてみました~♪

で、紐解いたのは「広辞苑」

そこには「におい」という言葉に二つの漢字があててありました。
ご興味のある方はご自分でも広辞苑を引いていただくとして、大まかな意味を上げますと。

① 匂い
こちらの漢字にあげてある意味はイメージとしては「良いにおい」
赤や鮮やかな色が美しく映える、だとか華やかでつやつやしいこと・・・ということから芳香をさすようです。
源氏物語にも「匂宮」という方が出てきますしね。
当代きってのいい男だったとされております。
勿論そういう方が、悪臭を放っていたとは考えにくいので、きっとイメージとして美しさが匂い立つ・・・ということだったと思われます。
特に古典(日本文学)では非常に良い意味で使われています。

② 臭い
これは全くの悪臭のことです。

じゃ、中国語は?

①の漢字はなさそうです。
手持ちの大修館の中日大辞典で調べました。
語彙数に関しては私の手持ちではこれがいちばん。
念のため現代漢語詞典でも見てみましたが、漢字そのものがありませんでした。

②に関して。
中国語では日本語の文字とちょっと違います(白の下の「大」が中国語だと「犬」)。
chouの4声で発音しますが、くさい、鼻持ちならない、醜悪である、なんて意味になります。
日本語に近いかな。

中国語で「におい」を良い意味で使うときはやっぱり「香(xiangの1声)」ですね。

で、私なりの結論
逃げ道を作ったといわれそうですが、ひらがなで「におい」と書けばどっちとも取れるので、私の表現が完全に間違っているとはいえないかも。
でも、誤解を避ける意味でも漢字で「匂い」とすればよかったのは反省点です。
もちろん「香り」という言葉を使えば間違えなかったと思うので、ご指摘は至極もっともと納得いたしました。

で、その人の言語環境を考えて・・・思ったのですが。
その人は詩をお書きになりますが、それを歌にされております。
耳で聴く言葉と文字で見る言葉とでは使い方が異なるのは当たり前のこと。
耳で「におい」と聞くとやっぱりどっちとも取れます。
(これは私がひらがなで表現したのと同じ情況)
混同を避けるためにもやっぱり両方の意味が取れる言葉を使うよりは意味が限定される言葉を使うべきだと思います。

これって、通訳・翻訳の場合にも言えることだと思います。
通訳は耳で聞くのでやっぱり意味が限定できる言葉を使うほうがいいと思います。
翻訳の場合は、漢字が理解を助けてくれますのでその場に応じてふさわしいものを自分で選べばいいんじゃないかなぁ。

うん。言葉って難しいけど、面白いです。

ご指摘、ありがとうございました。

中国語をやっているからといって・・・

★木蓮の花が満開です♪

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皆様、今晩は。
今日は中国語の日でした。
最近ちょっと仕事が忙しいことと、巴金ネタで一人盛り上がっていたことと、愚息が学校生活節目の年であることとが重なって、なにやらこの3月はバタバタしておりまして。
理由にもならないのですが、ちょっと最近中国語のほうは怠け気味。
そうすると途端に発音に影響が出まして。
もともと日本語訛の中国語だったのが「中国語もどき」に格下げ状態。
本当に正直なものです。

で、ですね。
中国語をとりあえず横において置いても読みたい・・・ってか、目を通しているだけで意見も何もないんですがけど・・・そういう勉強用のサイトがワタクシのリンクにも貼ってあります「巴金文学館」(URLはリンクコーナーをご覧ください)
中国語のサイトなのでちょっと読むのに苦労しますが、私の興味をそそる内容がいくつかありまして。
読むのにだいぶ難儀をしますが、少しずつ興味に任せて読んでおります。
こういうのって本当は図書館で探して、見つかったらコピーをして・・・というのが通常の手順なのですが、このようにしてひとつのサイトにまとめてあると見つけやすいし読みやすいです。

私の友人は老舎の話劇を対象に選んでいるのですが、いろいろと苦労をしているようです。
私は老舎については詳しくないので老舎の研究状況についてまでは把握しておりませんが、マイナーな中国文学のこと、なかなか全ての作家に対してこういう便利なものが用意されているとは限らないようです。

そっか・・・そういう意味で巴金を選んだ私は恵まれているんだなぁ、と思って。
やっぱ、巴金って有名なのかも、と思って。
中国語の同学に

ねぇねぇ、この前「巴金全集」買ったんだ~。

と、申しましたところ

「巴金ってだれ?何する人?」

ま、確かに、通訳・産業翻訳を目指すのならITやバイオ関連、機械関係の知識のほうが重要ですよね・・・・。

巴金全集2


★じんちょうげがいいにおいをさせておりました。
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皆様 こんばんは。
今日は日本中荒れ模様だったようですよ。
うちのほうも午前中はすごい風。
午前中外回りだった方は大変だったようですよ。
皆さんのところはどうでしたか?

昨日は全集26冊を購入した話題でしたが。
今日も大喜びでめくっておりました。
・・・いや、めくるだけでは毒にも薬にもならないのですが(笑)

私、大きな勘違いをしていたようです。
巴金は長編小説が有名なのでそっちばかりに目がいっていたのですが、私が知っている小説の多くは前半の6冊でおしまい。
後は比較的短いものが収録されています。
中身すべてをみていないので未確認ですが、『憩園』のあとがきで訳者である岡崎俊夫は

なお、巴金は1946年に発表した「寒夜」を最後に小説は書いていないが、上海の文学工作者協会の有力メンバーであり、51年にはワルシャワの平和会議に出席し、52年は朝鮮戦線に従軍してルポルタージュを書くなど、文学的脱皮の最中にある。

と記しています。
ルポルタージュかぁ・・・実はこれは考えに入ってなかったなぁ。

そんな風に見つつ、片付けつつ・・・。この26冊を書棚に納めるべく、さしあたり読まなくなった本をダンボールにしまって。
要らなくなった本を古本として売りに出しました。
そうしてやっとすっきり収まりました。
そしてね。
26冊目には年表があるんですけど。
それを書いた方は李存光という方で、巴金の年譜を別の本でも発表なさってます。その本はおそらくこの全集でかかれたものを再編されたものだと思います。

・・・って感じに、いろいろなことが発見できるのです。
私が大喜びでページをめくる理由が分かっていただけますか?

いや~・・・魯迅全集のときとはえらい違いです♪


巴金全集

皆様 こんにちは
今週末は本当に暖かく。。。いよいよ春本番ですね。
さすがに天気がいいとアクセス数が伸びません。
そりゃ、こんなに天気が良いと家でPCに向かっているより、外でリフレッシュしたほうがいいと・・・私はこのようにPCに向かっておりますが・・・(笑)

今日のお題は「巴金全集」
とうとう購入してしまいました。
以前の魯迅全集はたまたま本屋さんに行ったところ、ほとんどロハで手に入れたワタクシですが。
今回はちゃーんと購入しました・・・といっても破格で♪
どれくらい破格かは・・・内緒。

一昨日届いたのですが、全部で26冊。
魯迅全集のように背表紙に納められている作品が書かれているわけではありません。
そっけない装丁なので、まずはノートにどの本にどの作品が収められているかを書き出すことからはじめました。
激流三部作・愛情三部作・憩園・第四病室・・・などといった主だった作品は勿論、エッセイ、日記も収められています。
目次を見ながら「家」という文字を見つけようものならノートにも書き出しました。

興味を覚えたのは第6冊収められた「愛情三部作」の序。
この部分にも「底」と言う文字と「的」という文字について書いています。
これは『家』と共通する部分かと思います。
それから、第13冊の「短筒」、第20冊「談自己創作」にも『家』について書いています。
これらも少しづつ読んでいけたらなぁと思っています。
読み出すときりがなくて自分の目的と期限を忘れてしまいそうになります。
魯迅全集は手にとって見たもののやはり余り興味は覚えなかったのですが、今回の全集は新しい発見が沢山ありそうです。

何と言っても私が巴金を好きな理由はこの全集の序、一番初めの一句にあります。

『我是一个充满矛盾的人』
(私は矛盾に満ちた人間である)

私は以前の自分と今の自分、そして将来の自分について「矛盾」ということを、あまり考えていないような気がします。
そのとき、そのとき、自分の気持ちを正当化してそれの積み重ねをしている気がすご~くするんです。
勿論、作家というのは作品を発表したら後々まで残るので自分の過ちに対してのがれることが出来ないということもあると思いますが、自分の過去について率直に「矛盾に満ちている」と言える人って、あまりいないんじゃないかと思うんですよね。
他人のことはいくらでも糾弾できますが、自分の事となるとどうなんだろう・・・と。

そういう意味で、この人は一体どんな人なんだろう、と思うのです。
うちの御大は2年前、巴金がなくなった際に新聞に文章を寄せております。
そのコピーを、私が巴金をやりたいといったときに下さったのですが、そこにはこう書かれてありました。

世界的名声のある、しかも一世代も年上の学国の作家を"さん"づけで呼ぶなどおこの沙汰だとは承知しながら、この際はどうしてもそうしたい。

御大が"さん"付けで呼びたかった巴金という人。
私に「巴金はえらくなりすぎた」とおっしゃった方もいて、文章でしか接することの出来ない「巴金」と実際に接した「巴金さん」との差異はどこにあるのかなぁ。
自分の勉強の素材とは全く異なってしまうけれど、そういうことも勉強とは別に見てみたいものです。

そして全集を見てずっこけてしまったことがひとつ。
以前、大学の図書館で借りて必死にコンビニでコピーをした「序跋集」。
ちゃ~んと収められているではないですか。
「書信集」もね。

・・・私のこれまでの苦労は一体・・・。
御大は「金惜しみと骨惜しみをするな」と確かに私におっしゃいましたが・・・orz
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