よいお年を

皆様 こんにちは。
今年も終わりますねぇ。
一年間、たくさんの方に来ていただき、ありがとうございました。

ワタクシにとり、今年は本当にいろいろありましたが。
皆さんのおかげでなんとか、一年を終えられそうです。

本年のお礼を申し上げるとともに、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様もどうぞよいお年をお迎えくださいませ!!
スポンサーサイト

藤野先生

皆様 こんばんは。
今回の講義、現代は『藤野先生』を含める『朝花夕拾』を取り上げました。

藤野先生は魯迅にとって大きな影響を与えた仙台医学専門学校の先生です。
『藤野先生』(作品の場合は『』で区別します)によると、東京での生活を経て、仙台に移った魯迅は医学専門学校で藤野先生に出会います。
藤野先生は一風変わった人で、着るものにも無頓着。ネクタイを締めるのを忘れてきることがあったり、ひどいときは電車内でスリと間違えられることすらあったと書かれています。
そんな藤野先生は魯迅に目をかけ、講義のノートを添削してくれたりします。
それが原因で、魯迅は同級生からテスト問題を特別に教えてもらっているんじゃないかなどといわれてしまいます。
後にその疑いは晴れますが・・・。
そして、問題のフィルムを見る場面が出てきます。
このフィルムをみたことによって魯迅は医学から文学に転向したといわれています。
(このとき、藤野先生に別れを告げるにあたって、医学ではなく生物学をやろうと思う、と気休めを言ったと書いています。
それは後年、進化論の丘浅次郎の影響を受けるきっかけになったのでは?というのが先生のご意見です)
仙台を離れるとき藤野先生は一枚の写真を渡し、その裏面に「惜別」との文字を書いたそうです。
その写真を魯迅は書斎の壁にはり、気持ちが萎えそうになったときはそれを見て勇気を出した、と書いています。

****************************

もともとこの作品集『朝花夕拾』は別の題名で連載をされていました。
改めてまとめることで、作品として完成したと・・・つまり、事実のみを記したものではなく、フィクションも交えたのではないか、と理解しました。
そのことは『朝花夕拾』の『小序』で魯迅自身が指摘しています。

しかし、事実ももちろんありまして。

『魯迅と仙台』(東北大学出版社/2004.10)

これには藤野先生から添削を受けた解剖学のノートの内容が写真で載っています。
講義で見せていただきましたが、素人目に見ても臓器の描き方などは相当うまく思えました。
『藤野先生』には先生からこの絵の一枚について
「見なさい、君はこの血管の位置を少しずらせている。たしかに、こうすれば見栄えはよくなるが、解剖図は美術ではないから、我々は見たとおりを引き写すだけ、勝手に動かすわけにはいかんのですよ(後略)」
と指摘され、魯迅は口では「はい」と答えたものの、心では
「でも私の図はうまく描けているでしょう。実際の形はちゃんと頭にはいっているから、いいじゃないですか」とつぶやいていた。
と書かれてます。
そんな記述があったかどうかまでは確認できませんでしたが、確かに添削をしていただいていたようです。
でも、この解剖学のノートについては『藤野先生』ではなくしてしまったと書かれているのです。
このあたりが作品としての『朝花夕拾』で内容は事実に即しているわけではない、ということなのでしょうか。
竹内好の『魯迅』(講談社文芸文庫)には

『朝花夕拾』は普通に自伝の面が強調されているようだが、私はむしろ、かなり作品を感ずる。

と書かれているのはそういうことなのでしょう。
それから、北京の魯迅博物館に、藤野先生の写真の現物が展示されていますよ。

日本人から見た魯迅の研究は竹内好だけでなく、
『魯迅』(丸山昇/東洋文庫1965)
『魯迅と日本人』(伊藤虎丸/朝日選書)
『魯迅と終末論』(伊藤虎丸/竜渓書舎)

があります。講義で紹介されたので覚書です。

それから、ここで原書として扱ったのは1981年に出版された《魯迅全集》です。
私が棚から牡丹餅のように手に入れたあれです。
翻訳は学研の『魯迅全集』を参考にしました。(日本語の引用はこれから取りました)
魯迅の全集については1938年の《魯迅全集》だけが著作と翻訳とを両方収めているそうです。
それ以降は翻訳の仕事は収められず、著作のみになりました。
それも併せて覚書としておきます。

今回の講義は残りあと1回あります。
魯迅そのものに私はすごく興味があるとか、大好きというわけではないのですが、この先生の講義は文章の読み方とか、ひとつの知識が線になってつながる面白さとか・・・そういうことが聞けるので毎年欠かさず聞いています。
文章の読み方とか、資料の扱いなどは他の作家について勉強するにしてもとても参考になります。

今回は私が調べたことではなく、ほとんどが講義で学んだことの覚書になってしまいました。
消化したら記事にしようと思って、そのつもりで書いたんだけど、やっぱりちょっと支離滅裂かも(笑)

のたのた、だらだら・・・

皆様 こんにちは。
クリスマスをどのように過ごされましたか?

わたし・・・ですか?
昨晩、にわかに寒気がいたしまして。
朝から動けませぬ。

風邪というわけではないのでしょうが、なんとなく疲れが取れず。
朝はゆっくり6時前。
相棒のお弁当を作り、朝ご飯をあてがい・・・見送った後、なだれ込むようにごろんと横になり。
知らない間に寝ておりました・・・えぇ、ついさっきまで(笑)

仕事をやめて家にいるようになってから、二日動いては一日休み、というペース。
目に見えて動きが遅くなりました。

まず、歩く速度。
以前は自分で言うのもなんですが、歩くというよりは小走りでした。
エレベータを待つ間ももどかしく、階段を駆け上る。

が、今は。
以前の倍くらいのスピードでのたのた歩いております。

食事時間。
朝はコーヒーを飲むだけだったのが、相棒や息子を送り出した後、一人でのんびり頂きます。
お昼もゆったり。家なので温かいものがいただけます。
会社ではおにぎり弁当(自作)が定番でしたが。

これで社会復帰できるか、ちょっと不安ですが。
この生活も悪くないと思っている自分にちょっとびっくり。
以前だったら、焦りの塊だっただろうなぁ。

そんなして現在の生活にそこそこ満足し始めたら、仕事が決まりました。
焦っている時には全く声がかからなかったのですけどね。

年明けから、また元の生活が始まります。

スクーリング

皆さま こんにちは。
昨日の京都は高校女子駅伝だったそうですが。
私は始まる前に登校し、終わったあと下校しましたので交通障害の影響受けずに帰ってきました。

昨日の講義は。
えへへ・・・もぐり(先生、ごめんなさい)

先週まではちゃんと登録して受講してましたよ。
でも、今回はね~。

理由1
古典の先生が好きな先生だったこと。
古典は本当に苦手なので、テキストが読めないんです。
日本語(専門用語)が読めなくて・・・(涙)
だから、読んでわからなければ聞くしかないってわけです。

内容は欧陽脩の「洛陽牡丹記」
洛陽にさく牡丹について書いた散文でした。

理由2
現代は「魯迅」
「朝花夕拾」に収められている「小引」「藤野先生」「父の病気」を読んでいます。
魯迅はね、きちんと読む機会が無いのでここでできれば読んでおきたいと思って。
せっかく「魯迅全集」を手に入れたことですし。

講義を受けてみて。

藤野先生をきちんと自分でも訳してみたいなぁと思いました。
それをブログで公開したいと思ったのですが、著作権などの関係で難しいらしいです。
それから私の訳では原作を損なってしまう気もしますし。

でも、ぜひ紹介したいですね。
なにかいい方法があったらお知恵を貸してください。
私も考えてみます。

では、講義の内容が消化できたらお知らせいたします。

予言

皆さま おはようございます。
今日は冬至ですねぇ。
かぼちゃ食べて、ゆず湯に入って健康を祈る日です。

私、基本的になが~~~くお風呂に入ります。
たいてい湯船で本を読みます。
昨日、手に取ったのはこの本。

『オンリー・ミー 私だけを』(三谷幸喜/著・幻冬舎文庫 平成9年初版)

三谷幸喜というのは昨年の大河「新撰組!!」の脚本家で、この人のエッセイです。
ですが・・・一冊丸々「コメディ」

彼は「面白いということ」で、こう書いています。

「窮地に陥った人間の土壇場の知恵。そこには「笑い」だけではなく、大げさに言えば、必死に生きようとする人々の「悲しみ」や「業」までが見え隠れしている。そういったことをひっくるめて、つまりは「面白い」のである。「おかしい」のである。「生きる勇気」が湧いてくるのである。「面白い」とはこういうことのような気がする。」

あぁ・・・これこれ、必死さが見えると妙に滑稽、というのはわかります。
だって。
私は猪突猛進タイプなので、時々ふと肩に力が入っている自分を振り返って笑っちゃいますもの。
とにかく、そんなでこの本はお風呂でリラックスして読むのには最適なんです。

で、前フリが長くなりましたが・・・昨日久しぶりにその本を手にとってびっくりしました。

「政局」の項。

「実は、この文章を書いているのは、八月六日。そう、あの細川新総理が難産の末に誕生した歴史的な日である。」

・・・あぁ。。。懐かしい。

でね、そこで小泉さんのことも言及しておりまして。

「この人(小泉さんのこと)は髪型もおひょいさんみたいで、どうも政治家という感じがしない。線の細さはどっちかというと衆院議員というよりもダンス教師だ。デパートの実演販売人の匂いもちょっとある。・・・(中略)・・・しかし、従来の政治家のイメージを打ち破った(大臣時代も全然大臣に見えなかった)という点で実は今一番注目しているのがこの小泉氏である。とにかくまるでえらそうに見えないのが素晴らしい。ゆくゆくは政権でも取って、総理のイメージを一新してほしいものである。」

本当にそうなっちゃったじゃん。

一新されてしまった総理のイメージを安倍総理はどのようにまとめるんでしょう。
安倍総理は「えらそう」に見えますが。

座椅子

皆様
おはようございます。

日夜、家にこもってクリスマスや忘年会とは全く無縁のpiaopengです。
社会生活から足ヌケすると、お付き合いも減る、というのは本当のようです。
ただでさえ、皆さん忙しいこの季節。

ね~・・・あたし、ヒマ。

というのもはばかられる雰囲気でございます。

ま、どうせ家にいるのなら。
どうせ、PCにへばりついているのなら。
(10月まで務めていた会社から在宅のお仕事を頂いているので)

お仕事環境を整えようと。
こんなものを購入しました。

http://item.rakuten.co.jp/softpren/7777-seiz090

これを購入してから腰への負担が軽減され、ほんのちょっとだけ集中力が持続するようになりましたよ。

でも。

見てのとおり支えている部分が座る部分より小さいので。

ちょっと体制を変えると。



簡単にコケます・・・・・。

なので、正座するよりも。
足を立てて低い椅子に普通に座っている、という体勢のほうが楽だし、安全だった、ってのがちょっとしたオチ。

もともとスカートは穿かないので、女子にあるまじき格好でやってます。

学校から帰った息子が一言。

「かぁちゃん。その格好、なんとかしなよ」


はい・・・。

PCが2台になって。

みなさま 今晩は。
PCを購入して、2台のPCを同時に使うのにあたって困ったことがあります。

1.データの共有
ノートPCを購入したのは、いつでもどこでも作業が出来るように、というのが目的。
レポートを書くこともあるし、知人から頼まれた翻訳をすることも。
そんな時、それぞれにデータを持っていたら・・・考えるだに恐ろしい。

あ~・・・あのデータ、デスクトップだった!!
変更したデータの上に古いデータを上書きしてしまった!!

なんてことも起こりかねません。

で。
考えたのが、レンタルサーバー。
無料でもいいのがあるんですねぇ。
HPとかいろいろできそうですが、今の私にそこまでする能力はなし・・・ってわけで、あえなくボツ。

仕方ないので、すぐに対応可能な方法としてUSBメモリでデータの共有を図ることにしました。
いつでもそこにデータを置いておいて、持ち歩くのを忘れなければ、とりあえずデータの共有は図れそう。
今はUSBメモリにもパスワードがかけられますしね♪

不都合が出るまではこれで行くことにします。

2.プラウザの問題
これはですねぇ。。。主にブックマークの問題でもあるんですよ。
ネットで検索していると、とりあえずブックマーク、ってことが多い私は。
ブックマークも出来れば共有したい。
で、考えたのが。
グーグルの「パーソラナイズドホーム」(詳しくはこちら http://www.google.com/intl/ja/about.html)を使うことにして。
これ、便利なんですよ。
コンテンツを好きなようにカスタマイズできて、RSSも設定することが出来ます。
お気に入りのブログなんかもこれで見ることが出来ます。
それ以外にもGmailでこんなことも。
(http://wg.at.webry.info/200604/article_4.html)
これも、私にとってはひじょ~~に難しいですが、いつか、いつか、いつか!!
ちなみにコマンドプロンプトはまだ1回しか使ったことがない・・・。
(バックアップのバッチを自分用に作ったくらい・・・)

でもね~・・・それでもプラウザについている「お気に入り」のほうがお手軽です。
グーグルのブックマークはなんとなく私には仰々しくて・・・。

ってわけで、USBメモリにファイアフォックスを入れてみました。
それを常に呼び出すことによって「ブックマーク」の問題も解決!

こんな感じで着々と環境を整えております。
それにしてもグーグル・・・いいなぁ。
タブが使えるのでコンテンツをカテゴリ別に分けることもできます。

孔子

皆様 こんにちは

人間って。
どこまでだらだらできるものなんでしょうか。
仕事に行かなくなってかれこれ1ヶ月。
寝る時間も今までどおり。おきる時間も今までどおり。

しかし。
増えてしまったのが。

お昼寝の時間。

いいのか私。
これで正常に社会復帰できるのか?
一抹の不安を感じつつも、現在、スクーリング中ですからね。
勉強もしてますよ(←いいわけじみている)

で、今回古典大嫌いな私が読んでいるのは

『孔子』(金谷 治/著 講談社学術文庫 1990)

うちの学校のテキスト履修科目は古典ばかり。
中でも《論語》は重要で孔子についてのレポートだけで3つは書かないといけません。
《論語》はこれまでにもいろんなところで触れたり、読んだりしてきましたが、孔子の人間像から、後世に及ぼした影響についてトータルで読める本でした。
でも、孔子についてはリポートで触れたので、ここではパス。

著者の意見で興味を覚えたものがあったのでそれを取り上げます。
この本の著者の《論語》に向き合う姿勢を端的にあらわしたのがこの記述。

孔子という人物を、できるだけ具体的な歴史のうえにのせて客観的に明らかにする努力をつづけながら、しかもそれを古い遺物として博物館のケースに収めるのではなくて、もっと生き生きとした一人の人間として、われわれとの間の同情(シンパシイ)を求めていく、それが私の望むところである。

孔子は後世、聖人と称されて中国のみならず日本を始めほかの国にもその思想は影響を及ぼしましたが、そういう祭り上げられた人に人間的な魅力を見出すことができるか、というと私はそうは思いません。
子供ころならいざ知らず、それなりに自分の意見を持った大人が孔子と接するときには、人間くささが見えないないと、どこか胡散臭さが漂います。
そういう孔子の人間像から、彼の死後、そこから一人歩きを始めたイメージ。
2500年以上にもわたって人々に良くも悪くも影響を与え続けた偶像としての孔子と、人間としての孔子との両方を著者の解釈で提示してくれます。
そしてそれは古典の中の解釈だけでなく、現代中国に与えた影響(孔子批判など)についても言及してあり、現代文学を学ぶ私にとって勉強になりました。

今までは「論語?孔子?あんまり関係ないもんね~(←関係ないわけないだろう)」などと敬遠していましたが、古代の思想が現代とこうつながるのか~・・・という気づきになりました。

それから、もうひとつ。

現代のように目まぐるしく忙しい時代では、一つの事をじっくり学んで、それをくりかえして習熟するというようなことは、もはや縁遠いことに思われるかもしれない。人びとは、ちょっと学んだだけですぐに身に付く、そしてすぐ実用に役立つようなことを望んで、次々と新しいことを求めて流れていく。しかし、それにもかかわらず、というより、むしろそれだからこそというべきか、人は「学んで時にこれを習ふ」ということばを味わい深くかみしめるのである。

う~ん・・・これは私も自戒しなければいけません。
結果ばかりを追い求めて安易な学び方をしていないか、ということだと思います。
文学に関しては、実用には程遠いですけど・・・それにしてもよそ事ではないですよ。
この記述は胸にずしんときました。

長い人類の歴史にはその死後、えらくなりすぎちゃった人は数多くいますが、その最上位クラスに位置しているといってもいいのが孔子。
その人に仮託して著者は意見を述べています。
そういう読み方もできると思ったので、一粒で二度おいしい本としてご紹介しました。

設定完了

皆様 こんにちは。
アタクシ。
無職なのに。
先の見通しもたたないのに。

なんと。
ノートPCを購入してしまいました。
高かったけど。
オフィスは学生の特典。
アカデミック版だし。
なんといっても家中好きなところで作業ができるのがうれしいところ。
最近デスクトップは家のものが使う事が増えてきて私専用、というわけにも行かなくなってきました。
今回のPCには光学ドライブがついてないので一緒に外付けを購入したのでとうとう我が家にも。


DVDが!!


いや~・・・いままで、DVDはおろかビデオすらなかったというのに。
昭和から一気に平成にスキップしたようです。

なので、本日はノートPCから初投稿。

うれしいなぁ・・・♪

気づき

皆様 今晩は。
気がついたら週が明けていて。
無職の間はブログをこまめにアップしようと思っていたのですが・・・すでに12月も半ば・・・。
先週末も京都でした。
今年は雪にもたたられず、今のところ順調に進んでおります。

以前、「現代白話文」(http://piaopeng.blog48.fc2.com/blo-entry-22.html#comment_top)という記事を書いたときに、夢華録さんが
『中国語の難しさは、現代白話文といいつつ、小説や映画のセリフに四書五経や古典の原文引用が頻出することですよね。』
と書いてくださいました。
そのとき、私は次の記事で、「現代白話文(続き)」(http://piaopeng.blog48.fc2.com/blog-entry-24.html)で
『どの言語においても文化が背景にあって、それが各言語独自の世界を作り出しているのではないかなぁ、と思います。 』
と書いたのですが、それに関連して思ったことを少し。

今回《世説新語》の注を大漢和などの辞書を使って調べるという作業をしてるのですが、昔の人の教養ってすごいですね。
(あ~・・・なんて軽薄な言い方しか出来ないんでしょう)
注というのは、原文に使った言葉の意味などを「○○に曰く・・・(○○という文献に書いてあるところによるとね・・・)」などとして書き記したものです。
そこで講義中に先生からも紹介されたのがこのページ(http://hyena.human.niigata-u.ac.jp/files/jugyo/kotengo/jisho2.html)

伝統的に中国人が何かを発言するときには経典や史書などを引き合いに出すことがあるようです。
そういう伝統が根っこにあるなら当然現代小説においても(教養として)古典を引用することはごく当たり前のことじゃないかなぁ、と思いました。
前回の私の理解は中国文学の伝統は考慮せず一般論としての発言だったなぁ・・・と、講義を受けながら考えました。
以前の会話やコメントについて、時が移ると受け取り方が変わってゆくことはあると思います。
今回の講義はそういう意味で良い「気づき」を与えてくれました。





それから、一つ疑問。
中国のことを勉強する学問に「支那学」ってありますよね。
コレをPCで変換しようとしてもすんなり出てこない。
たまたまWikipediaで検索していたのですが、そこにこんな記述を見つけました。(その他をご覧ください)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3)
???・・・ふか~い理由があるのかも・・・???


出典をさがす。

皆様 寒いですが体調を崩していらっしゃいませんか?

先週の古典の講義で本文ではなく注を自分で調べることを課せられました。
本文はその注釈も意味も関係書物を当たればたいていの場合出てきます。
が。
注の場合は出てきません・・・・(涙)
分からない文字は漢和大辞典でさがします。
それでも足りない時は佩分韻府(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%A9%E6%96%87%E9%9F%BB%E5%BA%9C)で調べると教えていただきましたが、今回はそこまでは必要ないとのことです。現代中国語をやっていても辞書に載っていない単語はけっこうあります。
現代の場合は・・・ネット環境さえ整っていればわりと簡単に解決します。

雅虎!(中国語版Yahoo!)を開いて検索項目に単語を入れます。
そうするとその単語を含んだ文章がピックアップされてきますからそれを前後の意味を読みながら単語の意味を推察するのです。物の名前だったら写真が出てくることもあるので一目瞭然です。

古典の場合はどうするんでしょう。
そうしたら、ありました。こんなものが。
http://www.naf.co.jp/kis/item.stm

・・・・すご~い・・・。180万ちかくする・・・。
しかもCDが182枚!!
古典を担当される先生がときどき講義中に「四庫全書の電子版」とおっしゃいますが、コレのことなんだ~。

でもこんなの私には購入できないしな~・・・。
大学の図書館に・・・うちの図書館には無いようです。
どこかにあるところ・・・と探してみたら、国立国会図書館がありました!
私はこの図書館、東京に行かないと行けないのかなぁ、と思ってましたが、関西館アジア情報室(http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/asia/index.html)というところで見られるそうです。
ここには中国だけでなく朝鮮関係の資料も備えられています。

それから現代中国語も含めて用例を調べる際の便利なサイトを発見しましたので覚書。
http://www.las.osakafu-u.ac.jp/~kiyohara/sankou2.html

こんな風にネットのお陰で調べ物が非常に便利になりました。
でも・・・実は私はアナログな物が好きだったりもします。


12/7 追記:うちの図書館にも四庫全書の電子版は所蔵されてました。訂正します。

先生のご決断

皆様 こんにちは。
昨日は講義を受けてきました。
京都は非常に寒かった。関が原付近では山の上に雪が積もっていましたよ。
来週からの交通障害が怖いなぁ・・・。
腰の都合もあって荷物は最小限にしていきました。
持っていった辞書は電子辞書のみ。
やっぱりなんとなく不安というか、頼りないものを感じてしまいましたよ。

今回の講義は《世説新語》でしたが。
この先生、今回のスクーリングを最後にこの職をお辞めになるそうです。
先生がおっしゃるには、数年前、事情があって研究職の第1線を退かれ、その後はサラリーマンをしていらっしゃるそうです。(講義前日は夜勤だったとも・・・)
そんな中、勉強が十分に出来ない自分が学生に教えるということにジレンマを感じられ、今年をもって区切りとしようと思ったとのことです。

学問は楽しいものだということと、自分の持っている知識を出来るだけ多く、学生に伝えるのが自分の仕事だとおっしゃる先生の言葉の端々には、仕事に対する自信とプライドのようなものが感じられ、先生にとって今回のご決断は忸怩たるものがあったと推察されます。

さらに先生はまだお若く・・・30代後半といったところ。
この年齢で研究者として自分で自分にダメを押すのはきついだろうな、と個人的に思います。
研究者の世界の厳しさを感じ、人生って本当に一筋縄ではいかないなぁ、と言う気持ちになりました。
今回のスクーリング、あと2日を残すのみです。
おこがましくはありますが、この職を辞した後の先生の人生がなるべく平らかであることを願っています。


プロフィール

piaopeng

Author:piaopeng

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
リンク
カテゴリー
カレンダー
11 | 2006/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最近の記事
月別アーカイブ
RSSフィード