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送別会

皆様
おはようございます。昨日、この記事を書いている途中に力尽きてしまったpiaopengです。

いや~・・・ハードな送別会でした。
金曜日に現職場の送別会を開いていただきました。
メンバーは。
職場のスタッフと、一昨日からいらっしゃった新人さん。
私のお母さんのような執行役員さま
(その方は私と同じ通信過程で社会福祉士の受験資格を得て、勿論資格保持者です。婦長をやりながら大学で勉強され、最速4年で卒業されました)
担当役員でいらっしゃる常務さま。
そしていつもお世話になっているSEさん。

執行役員様は大変な才女でいらっしゃるのに・・・まぁ・・・私が言うのもなんですが、かなりの天然。
私が就職して間もなく
「私たちって似てるよね~」と言って下さり、本当に可愛がって頂きました。

その方からお餞別としていただいたのが「ワインとチーズ」
・・・さすが私のことをよくご存知で・・・。
その執行役員様と呑んで語りまくった日々が思い出されます。

常務から頂いたのはボールペン。
(http://www.pentel.co.jp/new-product/ergono_wing/index.html)
私が文章をよく書く立場にあることを考えてくださってて、「疲れにくいものを使ってくださいね」とおっしゃってくださいました。

そしてスタッフのみんなから頂いたのが。

『貿易用語辞典』(石田貞夫+中村那詮/著 白桃書房 2006年)
(https://bookweb2.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980318295)

包みが大型書店のものだったので、本だな、とは思ったのですが。
まさか辞典がプレゼントされるとは思っていなかったので。

包みを開けた瞬間。
涙腺 全開!!

口々に「がんばってね」「きっとこの本、役に立つよ」といってくださり。

いい年して。

涙が止まりませんでしたね~・・・(;_:)



なんといいますか。
コチラでも転職を決めた時に皆さんから励ましの言葉を頂きましたが、リアルな方でもこんなに励ましてもらえるなんて・・・。


アタシはうれしい。


幸せとさみしさをかみ締めた送別会でした。
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仕切りなおしの巴金伝

皆様 今晩は。
昨日ご紹介した本を参照しつつ。

仕切りなおしの『巴金伝』
この『巴金伝』。
以前、中国書籍の専門店で『魯迅全集』を棚から牡丹餅のように手に入れたときに、一緒に購入したものです。
(http://piaopeng.spaces.live.com/blog/cns!8460D8A1B29D320A!1270.entry)

それ以来、めくっては閉じ、忘れかけたころに気になってまた開く・・・というのを続けておりまして。
やっと、これに本格的に取り組もうと。
私がこれを購入した理由は、中国現代史を照らして、当時の巴金がどういう情況だったかを確かめること。
確かめてどうするかって?

・・・確かめて・・・確かめるんですよ。
自分が狙い定めた年代に社会や彼の情況が影響して作品になんらかの変化が現れていないか、ってことを確かめたくて。
これが的を得ているのか、全くの的外れなのか・・・見当もつきません。

指導を受けようにも、御大は「何か思いついたら、行動に移しなさい。やってみてから聞きにおいで」・・・という感じ。
手を動かさないことには。
研究室の敷居がエベレストよりも高くなります。

ってか、アタシのやろうとしていることって正しいの?
やっているうちに答えが出るでしょう。。。

現代中国を知るために

皆様 こんにちは。
こんな時間に更新するったぁ・・・いい度胸じゃないかpiaopeng。仕事はどうした、仕事は!!・・・という声が聞こえてきそうですが。
今日は現職最後の。

有給休暇!!!

・・・でございます。
引継ぎは・・・結局、人は間に合いそうもないので、親会社のSEさんに内容を伝え、人が補充されたら改めてその人に伝えていただくことにしました。
明日からは月末に向けてみんなが忙しくなる時期。
雑用要因として最後のご奉公をするつもりです。

で。
今日は本のご紹介

『未知への模索 毛沢東時代の中国文学』
(吉田富夫/著 2006年 思文閣出版)
『反転する現代中国 文学・演劇・文化』
(吉田富夫/著 1991年 研文出版社)

大学指定の中国文学史のテキストが文学革命時期である1919年から1949年の中華人民共和国成立までをカバーしています。
『未知への模索』は1949年から文革終了後の1976年まで、『反転する中国文学』で1976年から第2次天安門事件の1989年までをカバーしております。
狙いは。
「これで現代中国の概要を知ることが出来る!!」
そうしたら、最後にこんな一文を見つけました。

「両者を合わせて読んでいただければ、20世紀後半の中国大陸における文学情況は、ぼくの眼を通してではありますが、ほぼ概観できることになります」(『未知への模索』あとがき)

ほほう・・・狙い通りでした!(^^)!
中でも「ぼくの眼を通して・・・」という部分はなるほどなぁ、と思いました。
というのも。

読むほどに著者の講義を受けているような・・・そんな気がしてくるのです。
本題からはいささか外れるのですが、時折垣間見せる著者の「人となり」も文章には表れているからかもしれません。

「・・・権威ぶったものにはやたらと突っかかるクセのあるぼくとしては、いささかムカムカしてこないわけでもない。・・・」

この一文を見たときは失礼ながら、ふふふ・・・(笑)となってしまいました。

卒業論文にしても、リポートにしても、指定されたテキストだけでは到底全てをカバーすることは出来ません。
足りないところを補ってくれるものを探しているのですが、ぴったりとしたものが見つからずに困っていましたが、これでひとまず「現代」は一連の流れとして知ることが出来そうです。
・・・「出来そうです」と書いたのは、やっぱり1回や2回読んだくらいでは納得できないところがあるからです。
でも基本となるテキストがあれば、いつでもそこに立ち戻ることが出来ます。

あえて選んだものではなかったのですが、結局、著者の本にたどり着いたのは・・・<以下省略

でも・・・最近しみじみ思うのですが。
単位修得しないと卒業できないって事実を忘れてないだろうか。アタシ。
古典はどうした、古典は!!
もう単位修得済みの現代にばかりこだわっていてどうするのでしょう。
あ~・・・ジレンマです。

東京に行ってきました。

皆様 こんばんは。
この週末、やんどころない事情で上京いたしました。
横浜にワタクシの祖母がおりまして。
ひ孫の顔を見せないと死んでも死に切れないであろうとかねがね思っており。。。ちょうど国立市にいる叔母のところにも顔出さないとな・・・ってことになり。
ムスコと二人、金曜日の夜から上京し、たった今帰ってきました。

恥ずかしながらワタクシ、東京は6年ぶり。
はっきり言って。

おのぼりさん

で、ございます。
新幹線が東京駅に近づくと。

「でかいビルばかりだねぇ」

コンコースに出るや

「人がたくさんだねぇ」

・・・・名古屋だって都会じゃないのか?オイ。

でも、6年前の東京よりちょっと楽しみだったのが。
ブログにきてくださる皆様の中には

東京にお住まいの方がいらっしゃるということ。

「もしかしてどなたかとすれ違っていないかしら?」
などとついつい周りの人を見てしまいました。

横浜の祖母と会ったあとは中華街で上海カニを食べて帰ってきました。
とにかく、歩いて疲れた~。
次回東京に行く機会があった時は、皆さんに会えるといいなぁ。

かばんが欲しいの

皆様 こんにちは。
最近、マジで欲しいのが。

かばん

通学に使っていたかばん・・・今までは白いトートバックだったのですが、持つところが汚れてきて、雨に降られたときの雨染みがうっすらとついちゃったりしてちょっとみっともない。

だから、新しいかばんが欲しくて現在物色中。
勉強道具がガンガン入って、ノートPC(これも現在物色中)も入れられて・・・って思うと男性用のブリーフバックくらいしか見つかりません。
昨日ためしに現在使っている別のトートバックに詰め込んでみました。

★ノート・手帳
★本(稀に辞書・・・普段は電子辞書ですが)
★テープレコーダー
★テープのテキスト
★筆記用具と文房具
★お財布・携帯・カードケース
★ハンドタオルと身だしなみ用品

・・・・重い・・・・(-_-;)

この上資料が必要な日はどうなっちゃうんだろう。
外回りをしている友人は2つのトートバックを使って何とか収めているそう。
たしかに重い荷物を一つにして片方に重心が傾くのは体にも見た目にもよくないような。。。。

それからかばん自体の重さも問題。
かばんが重いがために荷物は入っても扱いづらいのは、ちょっとなぁ。

私より沢山の荷物を持ち歩いている方は皆さんどうしていらっしゃるのでしょう。

京都レポート(仁和寺編)

皆様 こんにちは。
先日の日曜日は京都に行ってきました。
図書館にもより、本などを借りてきたり御大にお会いしたり。
借りてきた本のレポートはまた後日改めていたします。

朝は9時に図書館に入れるように家を出発し、午前中は学校で過ごし、午後は近くを観光してきました。
今回のルートは「仁和寺(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/)」と「龍安寺http://www.ryoanji.jp/)」そして学問の神様「北野天満宮(http://www.kitanotenmangu.or.jp/)」

どれも大学からはわりと近いです。
日帰り京都(スクーリングをのぞく)場合はバス一日乗車券(600円)を買って移動します。京都は一部を除き220円で料金が統一されているので、すぐ元が取れるし、バス路線が充実しているので便利です。

その中で今日は「仁和寺編」
ここは兼好法師が書いた徒然草第52段~54段にも出てきます。
それでなんとなく以前から行ってみたかったのです。
季節としては紅葉には少し早く、勿論有名な御室桜はなし。
なので、空いているかなぁ、と思ったのですが、外国人観光客が沢山来てましたよ。
耳を澄ますと、英語に混じって中国語・・・あとはなんだろう・・・聞きなれない発音の言葉がそこかしこから聞こえてきました。

宸殿に向かう廊下に、何の説明も書いてないのですがこんなものを見つけました。

DSC00329.jpg


ココで気になったのが「光緒丁亥 季春 穀旦」と「總統軍四川提督宋慶敬立」の文字。

「光緒丁亥」は清朝の光緒帝が帝位にいた時代(1887年)のことだと思うのですが、どうなんだろう。
もし、そうだとしたら意味は「1887年春のよき日」となります。
で「總統軍四川提督宋慶敬立」は総統軍四川提督の宋慶が立てましたってことだと思うのですがいかがでしょうか。

で。
問題の「書」なのですが。
「功(ム+大+小)造化」・・・どういう字かは現物を見てください。

これの意味なんです。
出典もなにも分からない。しかも字が分からない。「(ム+大+小)」この字、ご存知の方いらっしゃいますか?

しばしそこで頭を抱え・・・しょうがない、家に帰って調べよう、とメモを取っていたら、同じようにメモを取る初老の女性が一人。
あれ?と思い、「もしかして・・・中国の方?」と中国語で話しかけると、相手も「そうよ」とおっしゃる。

「あの~・・・わたし、この意味分からないんですが、もしご存知でしたら教えていただけませんか?」

「私も少ししか分からないの」

・・・・・少ししてその女性が
「中国語がお上手ですねぇ。」
・・・・・私
「えぇ。大学で勉強しています。今回はご旅行ですか?」
・・・・・女性
「京都へは旅行ですが、日本に住んでいます」
・・・・・私
「そうですか。じゃ、日本語もお出来になるのですね。下手な中国語ですみません」
「いいえ。」
そうして別れました。

そのあと、庭を散策していたら。
DSC00343.jpg

寒桜の一種(?)だそうです。
わぁ~・・・桜だ~・・・と思って写真に収めていたら同じく庭を散策中のおじいさんが教えてくれました。
ほそ~い枝にちらほらと花をつけている様子はなかなか風情があって、満開の桜もいいのですが私はこっちのほうが好きだなぁ。

仁和寺ではこんな風に楽しみました。
そのほかはまた後日。

坂田藤十郎襲名披露

皆様 今晩は。
昨日は御園座に坂田藤十郎襲名披露「吉例顔見世」を見物してきました。

私は歌舞伎が大好きで御園座にかかると大抵見に行くのですが、いつもは3等の一番安い席。(それでも6000円以上するのです)
遠くから一生懸命見ているのです。
まぁ、3等には3等のよさがあり。
「○○屋!!」と声がかかるのは3等の席からです。
すぐ近くで。
しかも独特の調子で「待ってました!!」という声がかかると雰囲気も盛り上がります。

・・・が。
今回はなんと!1等。
しかも・・・・まん真ん中!!
あ~・・・2万出した甲斐があった(すみません。お金のことを言って・・・)

そりゃ~、よかったです。
ワタクシ個人的には坂田藤十郎よりも尾上菊五郎の方が断然好きですが。
今回の主役は藤十郎。
「枕獅子」では、70代とは思えない踊りでした。
昨年の勘九郎襲名の時の「連獅子」も迫力満点ですばらしかったのですが、今回はこの年齢でここまで動けるんだ、と言うことに感心してしまいました。
日々の鍛錬が偲ばれます・・が。
こんな見方をしては役者に失礼かも。
あとは連獅子とは違って女形がする獅子は小道具も違ってましたよ。

それから、私が面白いなぁと思ったのは「操り三番叟」(http://www.eg-gm.jp/eg/e_contents/e_hitokuti/a_hitokuti/a_bun.htm)
三番叟の動作が操り人形のパントマイムで現されます。
糸操りの後見(亀鶴)がまるで本当に糸があるかのように人形を操作してみせ、三番叟(翫雀)も本当に糸に釣られているように演じます。
途中、糸が絡まった時の様子も面白かったですよ。
しぐさをしているだけでも楽しめます。

それから、最後は菊五郎のはまり役。
「梅雨小袖昔八条 髪結新三」(http://www003.upp.so-net.ne.jp/sei0720/kabuki/kamiyui.html)
三津五郎との掛け合い息もぴったりで、何よりも菊五郎のかっこよさ(って言っていいのだろうか)にうっとりでした。

ただ、これ、長いんですよね~。
2時間以上もあって、しかも最後の演目ってことでお尻が痛くなるわ、足はむくんでくるわ・・・<汗
それを除けば・・・いいお芝居でした。

やっぱ。
1等・・・見やすいわ。

これからは時々1等で見よう(^_^;)


って訳で昨日は歌舞伎。
今日は秋の京都でした。
京都レポートはまた後日♪

雍正帝

皆様 こんばんは。
昨日は中日ドラゴンズが優勝してご満悦のpiaopengです。
今年は本当によいシーズンでした。
山本昌のノーヒットノーランもあったし、川上・朝倉も活躍してくれたし、鉄壁の二遊間は健在だし、福留もよく打ってくれたし。
岩瀬は期待を絶対に裏切らないし・・・。デニーは相変わらずかっこいいし(←オイ

あとは日本一になってもらうだけです。
どうか私が生きている間に日本一になって。お願い。
昨日はビールかけをしたい位でしたが、自宅でやると掃除が大変。
お風呂でやるのは情けない・・・ってわけで。

「口腔内ビールかけ」

・・・・な~んて言わずに素直に祝杯をあげました、と言います。


・・・前フリにえらく力が入りましたが。

今日のネタは先日「科挙」の記事のときに夢華録さんから教えていただいた本。

『雍正帝』宮崎市定:著/中公文庫

これのご紹介です。

雍正帝は清朝5代目の皇帝です。
ちなみに4代目は康熙帝。
康熙帝は康煕字典(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%AD%97%E5%85%B8)で有名です。
私は康煕字典はまだふれたことがないですが、名前だけは知っていましたのでご紹介。

で、その雍正帝。
いわゆる真面目な方でした。
朝早くから仕事をし、夜は地方から届いた臣下からの手紙にいちいち返事をしたとのことです。
そして、彼の言うことには
「朕に対して成人だの何のかのというお世辞の言葉は大嫌いだ。こんな下らぬ手紙は目を通す閑が惜しい。」
「朕に会いに来ても別にこれといって朕から訓辞することはない。用事はすべて手紙で足りる。遠い道程を空しく行ったり来たりするばかりで、その留守の間に政務が渋滞するのが落ちだ」

・・・これは、徹底した合理主義者だなぁ。
ふと、日本の江戸時代にあった「参勤交代」を見たら彼はなんと言っただろう、と思っちまいました。

私も似たようなところがあって、最近深く反省しているところなのですが、人生、遊びの部分もないと味気ないものです。
なりふりかまわず、自分でどんどん進めて行くのは周りが大変。
いや~・・・日々家族を「早く・早く」と追いたて家事の時間をなるべく短縮する上に、時間を切って「時間外労働はしないわよ。のんびりしたければ、後片付けまで責任もってね」と宣言している私としては・・・この雍正帝の姿勢は苦笑せざるを得ません。
(まぁ、それでも彼は本当に心底時間が惜しいと思って、そうやってやりくりした時間を有効に利用したんだと思いますが、私は・・・<以下省略)

そして雍正帝の政治について作者は
「正に善意にあふれた悪意に政治」と評し、独裁政治の絶頂期に当たる彼の治世は民衆を独裁制でなければ治まらないように方向付けられてしまい、それはいまだすっかり終わってはおらず、大きな歴史の裁きを待っていると締めくくっています。
雍正帝の治世を通して、中国の近現代につながる政治情勢を暗示したようにも思えました。

そしてもう一つ。
『雍正硃批論旨解題』という論文も同時に掲載されています。
緒言を興味深く読みました。
著者がどのようにこの研究に取り組んだかが記されています。

中でもテキストの底本としたものが原版でないことが分かったものの、手に入らずにいたとき、何気なく入った古本屋で望む版のものを手に入れたというくだりは・・・運命を感じずにはいられません。
縁ってこういうものなんだなぁ、と思いました。
それから、指導を受ける機会も少ない私のような立場の者にとって、人がどのように研究を進めるのかと言うのは非常に興味があります。

そういう意味で勉強にもなり、人間としての雍正帝の魅力も感じることが出来ました。


一年たちました

皆様 おはようございます。

昨日、ふと思ったのですが。
ワタクシ、ブログをはじめて1年が過ぎておりました。
いや~・・・めでたい。

過去の記事はコチラ(http://piaopeng.spaces.live.com/)
記事の初っ端が「引っ越します」だからなんとなく脱力しますが。

昨年10月の記事を見直していたら、レポートを書かなきゃ、だとか、学費の請求が来ただとか・・・今年とあまり変わらないことが書いてあります。
ほぼ同時期にブログをはじめた夢華録さんは日々進化した内容でアップしているのに、私のこの状態は一体・・・・(-_-;)
それから、文章にも慣れていないから我ながら「ウプププ・・・(笑)」って笑いが出てしまいます。

しかし。
書いてある内容は同じでも、ブログのお陰で自分が学生であることを忘れないでいられるのは事実です。
私ってば本当に根性なしなので、楽なほうへ楽なほうへ・・・と流れていくんです。
それを止めてくれるのがブロクの効果。

今後とも私のどたばた学生生活と、家庭生活、職場生活を見守っていただければ幸いです。


30人31脚

皆様 こんにちは。
この3連休、天気は良いものの風が強く外に出るのもためらわれる始末。

昨日はムスコの30人31脚の本番でした。
30人31脚とは。
二人三脚のように脚を隣の人に結び付けて50メートルを走りきります。
早いチームはそれを9秒台で走ります。

・・・もしかして私が一人で走るより早いかもしれん(-_-;)


気合の入ったチームは応援団まで組織し力の入った応援をしておりました。
・・・すごいなぁ。
会場に着くと、まずヤツを探します。とにかく人が多くて。

お~い・・・うちの子、どこだぁ~~??


とそのとき。


!!!!!!


顔の左半分、眼から頬骨までずり向けたお岩さん状態のヤツが!!!


あ~た、どうした?その顔。

練習でずっこけた。

で、どうよ?痛いとは思うが走れる?

うん。顔だけだから。


何はともあれ本番でなくてよかったと胸をなでおろす私。
まぁ、名誉の負傷とでも言っておくか。

で。迎えた本番。

そりゃ、見事なもんでした。
横一列に30人が並んで一糸乱れずゴールに向かってひた走る。

結果はまずまず。全国大会(横浜)の切符は逃したけれど。
私はけっこううれしかった。
ムスコが所属するクラブチームの公式戦より燃えちまいました。

で、顔の状況は・・・だんだん見た目が派手になり、昨日は青あざにはなってなかったけど、今日は見るからに可哀想な様子。
男の子だから、はったおして叱ることもあるのは否定しませんが、虐待だとおもわれないかちょっとひやひやのpiaopengです。


現代白話文(続き)

皆様 今晩は。
前記事の夢華録さんのコメントを受けての記事です。

今、問題になっているのは白話文学の定義だと思います。

夢華録さんのおっしゃるように「白話文学」は明代にも現れていますし、それ以前の宋代の「古今小説」も「白話文学」の代表的作品として挙げられます。
宋代の白話小説の題材は講談や演芸など庶民の間で盛んになったものが多いと、夢華録さんのH.N.にもなっている『東京夢華録(とうけいむかろく)』に記されています。(『東京夢華録』は当時の都であった「東京(とうけい)」の風俗や地理・年中行事について書かれています)
そのほか、先にあげた『古今小説』や『警世通言』等があります。
これらは白話でかかれたのには理由があり、講談師の台本、つまり話本であったからです。
講談はしゃべりですから、当時の話し言葉「白話」で書かれたのは自然なことだったのです。

その後、明代には『水滸伝』が著されました。夢華録さんがコメントで指摘してくださったようにこの作品も宋代のものと同じく「語り物」です。

つまりその時代の書かれた「語り物」というのは全くの話し言葉。
私は文学革命時代を経て書かれた魯迅の『狂人日記』以後の作品ははちょっと趣が違うのではないかなぁ、と思います。

今、宋・明代の白話小説の原文がないので、単なる私の仮定となってしまうのですが。
講談の台本と言うのは純粋に聞いて違和感のない話し言葉だったのではないかと・・・方言なども交えたものではなかったかと考えます。
それに反して、「現代白話」・・・宋・明代の「白話」と区別して「現代白話」といいます・・・は理解を助けるために話し言葉の単語や語法を用いつつも「語って聞かせる」ことを意識したのではなく「読む」ことを意識して書かれたのではないかと予想します。
そうすると自ずと文体が違ってくるのではないかと思い・・・宋・明代は文言あっての白話だったと思いますが、現代においては位置づけが違うのではないかと思います。
そのへんが魯迅の小説より宋・明代の白話小説のほうが読みやすいという理由にもなるでしょうし、私はこの点で普通語の元となっている「現代白話」と「宋・明代の白話」と区別したいと思います。


しかし、現代白話とそれ以前の白話と区別したにもかかわらず1900年代前半に書かれた小説の中には文体が定まっておらず、いわゆるお国言葉めいた文体で書かれた小説もあったということを読んだことがあります。
それによって1950年以後作家本人の手によって書き換えが行われたと言う事実があります。
(その流れは前記事で挙げた国務院の法規も無関係ではないと思われます。)
だから、魯迅の『狂人日記』を現代白話のスタートに定めるのは・・・どうなのかなぁ、と思わないでもありません。
そういうこともあって、『狂人日記』については

『それは現代白話で書かれた最初の作品とされていますが、規範化されたもので書かれた訳ではありません。
試行錯誤しつつ現代に至っているというのが現状だと私は理解しています。』

と記事に書きました。

それから、あともう一点。

『中国語の難しさは、現代白話文といいつつ、小説や映画のセリフに四書五経や古典の原文引用が頻出することですよね。
結局それが分からないと教養がないと馬鹿にされるわけです。』

・・・という夢華録さんのコメントについては私は全く同感で、中国人の一般教養として四書五経などが染み付いているのだと思います。
しかし、日本語にも中国古典の言い回しがベースになって直接的に言わずに表現することがあります。
古くは平安時代に清少納言が中宮定子に「香炉峰の雪いかならむ」と言われて白居易の詩にちなんで機転を利かせて中宮を喜ばせた、という記事が枕草子にみられます。
それと同じことが中国人の言語生活において現代も息づいているということだと思います。
しかし、それは中国語に限らないのではないかと思います。
どの言語においても文化が背景にあって、それが各言語独自の世界を作り出しているのではないかなぁ、と思います。

今回の記事を書くに当たって大学のテキストを参照しました。
それから、『懺悔と越境』(坂井洋史・著/H17)を一部参考にいたしました。
自分が読んだり、聞いたりしたことで出典が明らかでないものもあります。ご了承ください。

夢華録さん、ありがとう。

現代白話文

皆様 おはようございます。

しほりちゃんに「現代白話文」ってなに?
というご質問を頂いたので、こちらでお答えをしたいと思います。

その前に訂正です。
前記事で「現代白話文」を「現代白和文」と間違って変換をしてしまいました。
そのせいでしほりちゃんは「?」と思われたかもしれません。
まずはそのことをお詫びしたいと思います。
(前記事については訂正済み)
では。
「現代白話文」・・・いってみます。

しほりちゃんが指摘してくれたように現在出版されている出版物は現代白話(普通語)で書かれております。
それを定めたのが前記事にあげた法規です。
法規の前文で「(規範化された現代白話を基準とする)普通語」を採用する理由、定義等を提示して、本文では具体的にどのように浸透させるかが決められています。
そこによると。
教育現場・放送・出版・政府機関などで「普通語」を使い、広めることを定めていて、それによって現代の出版物は「普通語」で書くようになったのです。

その「普通語」の元となっている「現代白話文」というのはなんなのか、ってことですが。
いまだそれが何に準拠するものなのか定まってはいないようです。
作品としての始まりは魯迅の『狂人日記』(1918年)です。
それは現代白話で書かれた最初の作品とされていますが、規範化されたもので書かれた訳ではありません。
試行錯誤しつつ現代に至っているというのが現状だと私は理解しています。

以前ブログでもこのあたりの記事を書きました。
しほりちゃんのご質問の直接の回答にはなりませんが、参考までに。
http://piaopeng.spaces.live.com/blog/cns!8460D8A1B29D320A!1279.entry
http://piaopeng.spaces.live.com/blog/cns!8460D8A1B29D320A!1270.entry

私の知識もまだまだ浅いので内容に誤解があるかもしれません。
その点はご理解いただき、補足・訂正していただけるコメントをしてくださればありがたく思います。

普通語の規範化

皆様 こんにちは。
今日は日曜日。雨降りの日曜日です。
昨日は片道十数キロ離れた実家まで自転車で行ってきました。
何でそんな莫迦なことを、と思われたあなた。
聞いてください。

今週は車が無かったんですの(相棒に乗っていかれた)
うちには力が有り余っている『ガキ』が一人おりますの。

私:ねぇ、おばあちゃんの家、行かない?渡すものもあるし。
ムスコ:え~・・・電車は飽きたから、自転車がいい。

・・・へ?

自転車?

ムスコ:あれ?行ける自信ないんだ。

この挑発に乗ってしまった愚かなワタシ。

筋肉痛が今日になってもまだこない現実をどう理解するのか・・・(笑)

ってわけで、今日は家。
インターネットで一つの資料を検索いたしました。

1956年2月20日に国務院から発表された普通語の普及に関する法規です。
前文をちょっとご紹介。

『漢語は我国の主要言語であり、世界においてもっとも多くの人に使用され、発展している言語の一つである。言語は交流と社会闘争および発展のツールである。現在、漢語はわが国人民が行う偉大なる社会主義建設事業に役立つものとされ、漢語の習得はわが国の社会主義事業の発展に対して重要な意義を併せ持つ。

歴史的原因により漢語はいまだ完全に統一に至っていない。方言と言う多くの深刻な分岐は異なる地域の人々の交流を妨げ、社会主義建設の事業において多くの不便をもたらしている。言語の非統一性と一貫性のなさは会話のみならず、書面上においても存在する。書面上、出版物においてさえ語彙・語法の混乱甚だしいのである。わが国の政治・経済・文化・国防のさらに一層の発展のためにこの現状を解消することが必定である。

漢語統一の基礎はすでに存在している。すなわち北京語音を標準音とし、規範となる現代白話文の著作により普通語の語法規範とする。文化教育の中で人民生活の各方面に対して普通語を普及させること、これが漢語を完全統一達成を促進させる主要な方法である。国務院は以下のとおり指示する・・・。(私訳)

この中で私が気になったのは「漢語統一の基礎はすでに存在している。すなわち北京語音を標準音とし、規範となる現代白話文の著作により普通語の語法規範とする。」この一文です。
規範となる現代白話文が具体的に何なのか挙げられていません。
挙げられてないってことは、この時代具体的に規範化はされてなかったのかなぁ・・・とも思います。

まぁ、個人的な疑問は置いておいてもこの前文で当時の中国政府が漢語規範化に対して並々ならぬ力を入れていたことがうかがい知れます。
これが発表された前後の背景を今後調べてみようと思います。


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