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巴金記念館の講演会に参加しました。

週末は東京。
一橋大学で行われた周立民氏講演会「中国現代作家博物館建設和運営現状ー以巴金故居為例」(中国近代作家博物館の創建と運営の現状―巴金旧宅記念館を例に」)に参加しました。

中国語での講演でしたが、主催された坂井先生が通訳をしてくださったので細かな内容まで拾うことができました。
巴金は2005年になくなったのですが、彼の上海の故居に手を入れて記念館として公開されています。
現在の記念館の運営状況と今後の展望、他の文学者の記念館などとの比較を交えて、話を聞きました。

巴金に限っていえば、彼は博物館の設立に大きな関心を持っていたとのこと。
彼が自分の柱としていた二つの博物館、「中国現代文学館」と「文革記念館」
中国現代文学館は完成しましたが(北京)文革記念館はいまだ設立されていません。

この関心は自分自身の資料の保管ということにも向けられ、領収書の一枚もおろそかにせず、手書き原稿、手紙など、ありとあらゆるものを保管していたので、それら資料の整理。そして彼の足跡や功績をまとめて、今後伝えていく役目もあるので、コンテンツの充実を記念館の二つの役割としてあげておられました。

ワタシは中国で見た記念館的なものは老舎の故居ですが、老舎が住んだ四合院に彼の私物を並べて、年表なんかがあった程度。
日本で同じ規模かなぁ、と思われるのは正岡子規の「子規庵」
イメージとしては展示して終わり、という感じです。
巴金の記念館は行ったことがないですが、スライドの写真や話を聞いた限りではそれと一線を画している印象。
たぶん、目指すところが違うのでしょう。
どちらが良い、というわけではありません。

あと、ちょっと疑問に思ったのは入場料の件。
今は国からの補助が受けられているのでやりたいことがやれている、ということでした。
でも、あくまで一般論ですが、お金ってもらっちゃったら、もれなく口出しされるような気がするので、うーん・・・という感想を持ちました。
確かに自前の入場料収入を柱にすると啓蒙活動とは別に営業活動というのも仕事に入ってくるので時間の制約なんか考えると、やっぱり正解なのかな、とも思います。
このあたりはワタシの感覚が大いに影響しているので、まぁ深く考えないでいいのかもしれません。

この講演会の後、先生と演者の周先生、院生の方お二人と食事をご一緒させていただきました。
もうね、会話は追っかけても追っかけても振り落とされる、という感覚。
途中でご飯に意識が行ったらそれでアウト。
わからない言葉にふと気を取られるとアウト、の連続。
聞き取れないのを前のめりになって追うものだから、途中で頭がつかれちゃって、ぼーっとなりました。
なにかしゃべれば?といわれても日本語でも口を挟めないくらいの速度で、ほんとうにやられました。

でも、すごーくよくわかった事がありました。
まず、おしゃべりはリズムだということ。
もともとワタシのしゃべりは日本語でもモタモタしているのですが、あのスピードとリズムに乗っからないと聞きたいことが聞き出せない(コミュニケーションという意味で)
リズムに乗っているときは、すごーく楽しそうだし会話の情報量も違うように思えました。
自分が(比較の問題なのですが)多少中国語の会話が出来るとしても、自分の狙った情報を聞き出すだけの能力はありません。なーんか綺麗事だけで終わる会話といったら良いのでしょうか。

それから、語学は自分の物にするのが大事ということ。
もちろん、正しく通じる中国語がマスターされている、という前提なのですが、自分の言葉で話す・・・なんだか母語でも難しそうですが、そうしないとコミュニケーションの取れる中国語とはいえないような気がしました。
で、語学を使って何かする、というのは、これくらいは出来ないといけないのだなぁと思いました。

さて、振りかえって私の今後ですが。
非常に難しいと言わざるを得ません。
こういうのはすごくおこがましいのですが、「プロってすげえ」(坂井先生、気を悪くされませんように)
中国語が上手で、もちろん仕事にしている人ともある程度かかわってきたつもりでしたが、こんな会話、聞いた事がありませんでした。
なんか、すごいもの見ちゃった。どうしよう。
ワタシもこうなりたいけど、今の環境ではたぶん無理。天井見えてますもん。
ちょっとやそっと勉強量増やしたところで、どうこうなるレベルではないし。
これは今後の課題・・・というか、どの程度まで近づけるか、という感じです。
具体策は・・・八方ふさがりで今のところ、どうもこうもありません。

先生方も院生の方も、あわあわしながら参加している私を気遣ってくださいました。
言葉もたどたどしい上に、知識・教養という点でもはるかに劣るワタシのことを笑いもせずに接してくださったのがうれしく、気持ちよく参加させていただきました。
ありがとうございました。
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翻訳教室途中経過

先月から文芸翻訳をインターネットクラスで受講しています。
残すところ、あと1回。4回コースなので、最初の1回は全編の4分の1を皆で訳する、という形態を取っていましたが、2回目から全体の8分の1づつになりました。(訳する文を担当分け)
結果的にこれくらいのボリュームが自分のペースにあっていて、満足しています。

長い間まともにやってこなかったこともありますし、辞書をなるべく丁寧に引くことを心がけたかったし。
さっと読んで意味を取っておしまい、だったらなにも高いお金を払う必要もなかった。
8分の1程度だと、ちょうどページにして2Pくらい。
自学自習の悪いところは自分のペースを自分で決められてしまうということ。
私は自分にアマアマですから、だんだん量が少なくなる~。
ちょっとがんばる、でもがんばり過ぎないという適量を自分で設定するのは大変難しいです。(←本業があるので)
その「ちょうど良い」の目安を決めるには、一回は客観的な目と強制的にやる環境に身をおくことが必要です。

しかも、語学は翻訳だけをやっていても力はつかない。
日中双方の訳、聴く力、話す力(発音)少なくともこの4種は平行してやる必要があります。
それらの配分を1週間で、と思うと2Pって決して少なくないのです(私にとって)
そして、時折今回のような短期のクラスを受講して独りよがりになりがちな部分を修正する、というのが現実的かなぁ。
受講料は決して安くないし。

今回自分で思ったのは、想像以上に日本語力が足りませんでした。
意味がわかると日本語にできるというのは全く別物で、まして中国の風俗にかかわる単語は日本語がないし。
その辺をもう少し埋める努力が必要です。
音読も久しぶりにやってみたら、30秒ほどのニュースをナチュラルスピードで読めるようになるまでに、だいぶ時間がかかりました。
音読して日本語訳して日訳したものを見ながら中訳。(中訳は一応の正解が必要なので原文を解とします)
結局はこれの積み重ねでしょう。

アクティブな勉強をすると自分に自信がつきます。
これは精神衛生上、非常に良い。日常生活にも良い影響があるように思われます。
ゴールのないものなので、「精神衛生上良い」くらいの気持ちで気楽に長く続けるのが良いでしょう。

こんな感じで。

勉強歴だけは長い中国語。
今年はこれまでお世話になった先生から離れて、新しい環境を求めることにしました。

つまるところ勉強した先に求めるものは何かな、ということなのですが。
改めて考えてみると、やっぱりホンヤクかなぁ。何度も自問自答していることなのであまり変わりません。

新しい環境・・・って、探すたびに思うけど、どれもこれも高い。
ある語学スクールはインターネットクラス(名古屋に中国語の翻訳だけを教えるところは有りません)でも通学と同じ額とるし。
あと、やはりブンガクと関係のあるものがやりたいなぁと思うと、これまた皆無・・・と思われましたが。
あった!4回コースで短編小説を翻訳するインターネットクラスが!

自分の欠点は飛ばし読み、推測読みが多いこと。
自分で楽しむだけだったら、(自分さえ良ければ)これでもまぁいいのですが、マジメにやるにはココを乗り越えなければ。
文法がガタガタなんだと思います。

そういえば講談社の辞書の3版がでて、買いなおしたのが2011年。もう3年も経つのに辞書が買ったばかりのような美しさを留めています。
電子辞書の頻度が高まったとか、iPadを使うようになったとか、いろいろ理由も無いでもないですが、やっぱり辞書引いてないんだなぁと思い、反省しています。

それにしても安価で勉強できる手段はないものかなぁ。
愛知大学の孔子学院もいいけど、仕事を持っている身では、なかなか時間が合わない。
民間の語学教室はいいところに当たったためしがない(当社比)

でも、今年は辞書を引くぞ。ここ数年、辞書も一新したんだから。

平成24年11月17日研究会参加

11月18日、研究会に参加してきました。
吉田富夫先生の講演の覚書。

1997年3月16日 初めて莫言と会う。(北京)
大きい男と言う印象。
賈平凹の「廃都」(吉田先生訳)を渡して自己紹介する。
この作品を渡したのには狙いが有り、莫言にとっては意識している作家の一人であるとの思いから。
豊乳肥臀の版権をゆずってもらう。

1998年3月16日 西安に入り、20日~22日に莫言の故郷であり作品の舞台でもある高密県訪問。
1998年9月3~4日 莫言と会う。あわせて、史鉄生(1951年1月4日 - 2010年12月31日)とも会う。

1999年 豊乳肥臀出版。翻訳にあたって、原文にはない解説を挿入する。
     →章立ても新たに入れる。(翻訳に苦心した点)
    【私の翻訳でもこの点は共通して使った。翻訳に当たって、どの程度原文に沿うのか、補足は何処まで許      されるのか、ということについて一つの答えであると考える】

吉田先生は莫言その人(?)もしくは作品と自分の人生が重なって見えたといわれた。→自分にしか出来ない訳。
方言については吉田先生の言葉となっている広島弁を適度に入れるスタイルにした。(その後の作品も)
【方言の訳し方についても私には迷いが多く、この点については翻訳作品の「訳者あとがき」などで触れていれば、気をつけて見るようにしている】

京都に呼び、講演を企画する。
『世界 2000.1』
高密県にあるすべての物が題材になる。(モネの睡蓮と同じ)

★余談
「幸福時光」(至福の時)を出版するに当たって、日本語訳のために手書きの序文を依頼。
原稿用紙の余白に「あなたの言いつけにしたがって、これを書きました。私が大作家になったら、これは文物になるでしょう」という冗談が書き留めてある。
執筆のスピードは非常に速いらしい。

莫言の作品のテーマの推移。
発想:酒国【翻訳:藤井省三】
一族:豊乳肥臀【翻訳:吉田富夫】お母さんがモデル
作品として:白檀の刑【翻訳:吉田富夫】7・5調で訳す。「茅盾文学賞」にはノミネートすらされていない。

四十一炮(2003)独白の手法
生死疲労(2006)【邦題:転生夢現】1950~現代中国の比喩。旧小説の仕立て。講談調に訳す。
蛙は大陸出版前に邦訳を依頼された。


・・・・以上

神保町めぐり

昨日・今日とムスコと東京に行ってきました。
・・・とはいっても、ムスコはムスコで会いたい人ややりたいことがあるらしく、ほとんどが別行動。
行き帰りの新幹線と、宿泊のみ同じでした。
で、私は一人で何をしたかというと、神保町で本屋めぐり。
神保町は古書町として有名だし、中国好きは多分一度はお世話になっている東方書店もあります。
東方書店の斜めむかいには内山書店も。
それらを楽しみに行ってきました。

JRだったので御茶ノ水駅から明治大の前を通って神保町にでました。
明治大学のあたりは楽器屋さんが多くて、なんでここに楽器屋?と。
秋葉原が電気街で神保町が本屋街であるのと同じで、楽器街か?などと思いながら通り過ぎ。
あとは何故かカレー屋がやたらと多かった。
これも、何か理由でもあるのでしょうか。

そんなことを思いながら三省堂書店の裏手のすずらん通に向かいました。
それにしても東京は北京で言ったら胡同・名古屋の閑所みたいな小道が多く、そこを覗くと昭和の香り満載の喫茶店や食べ物屋さんが何件もありました。
道の外まで本を出しているので、本屋の前には何人か物色する人が必ずいる感じ。
なんとも面白い町です。

今回の目玉は北京地図。・・・といってもただの地図ではありません。現在の地図であれば、昨年訪中した際に免費で手に入れた地図があります。
今回、手に入れたのは民国17年と23年のもので、当時はまだ北京ではなく北平(べいぴん)と呼ばれていました。我ながら変なものを購入したと思います。。。ってか、その場になるまで、これを買うなんて思ってもいなかった。これを眺めているだけで、当分楽しめそうです。

それから購入はしませんでしたが、内山書店で「のだめカンタービレ」の大陸版と台湾版が売っているのを見ました。
のだめって「野田妹」と言うんですね~。
野田はそのまま、「め」を「MEI」と音訳かつ意訳したんでしょう。
なかなか面白いと思いました。

そんな感じでゆっくり冷やかしつつ見て回りました。
ただ、休日は休みのお店もありました。
残念でしたが、しかたありません。
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