1942

今日は映画鑑賞でした。

电影《一九四二》高清完整版

1942年の中国河南省で起こった飢餓を描いたものです。
この映画の監督はフォン・シャオガン(馮小剛)。
作品の原作と出会ってから18年かけてようやく完成させた映画とのこと。

その飢餓に対してアメリカ人ジャーナリストの視点、当時の為政者であった蒋介石の姿勢を絡めつつ、飢餓から逃れようと大移動をする人々(3000万人!)の有様が描かれています。

飢餓から逃れるために主人公家族は一家でふるさとを離れるのですが、移動中に家族のすべてが離散、死亡してしまいます。
最終的に主人公はどうせ死ぬならふるさとに帰ろう、と一人で逆戻りするところで終わります。
最後の最後で同じように家族を亡くして独りぼっちになった女の子と共にふるさとへ歩みを進める、新しい家族を作るというエピソードがあるので「再生」という光が見えなくも無い・・・これが全編の中で唯一の救い。
本当に極限状態の人間を丹念に描いているので、見ていて本当につらくなる作品でした。

ワタシが見たのはユーチューブですが、中国語字幕付きだったので、細かいニュアンスまでは拾えたかどうか分かりませんが、ストーリーを追うのは比較的容易で、まぁ史実にもあることなので分かりやすかったです。
中国語に関して言えば、発音が普通語とはちょっと違っている気がしました。
方言でしょうか?ピンインはそうでもないのですが、四声が多少違って聞こえました。
それから「娘(ニャン)」という呼びかけがとても多く、それぞれ意味が違うように思えました。
「娘」はお母さんの意味もあるし、家族の世代間での呼びかけだったりするし、奥さんのことも。
今、文芸翻訳でやっている教材にも「娘」が出てきて、その時は「奥さん」の意味でした。
この「娘」は場面場面で誰を指すのかと思い、家族構成が(ワタシの理解力のなさもあって)良く分からない。
最後まで正しく理解していたかどうか(笑)
多分、こんなもん・・・と推測で理解しました。

「娘」に対応するのは「爹(ディエ:お父さん)」
最後に孤児になった女の子に「爹(ディエ)と呼んで。そうしたら一緒に行こう」と言い、女の子が「爹(ディエ)」と応えて一緒に歩き出すところで終わります。

久し振りに見た映画がめちゃくちゃ重かった。もうちょっと軽い娯楽映画にすればよかった。
その後で見つけた「Lovers(十面埋伏)」ちらっと見たけど金城武君かっこよかった。
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遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス


『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』(新潮文庫 藤原正彦/著)

タイトルにもあるとおり、数学者の留学記です。
留学と言っても学生の留学ではないので「武者修行」というのが正しいのでしょうか。
実績を積んだ研究者がイギリスはケンブリッジ大学に「道場破り」行くような、そんな印象を受けました。
なぜなら、「日本人たるものイギリスに舐められてたまるか」という気負いのようなものが作品のそこかしこににじみ出ているからです。

私はおそらく同時期に同じような立場で留学していた林望という書誌学者のエッセイを読んだことがありますが、
林望の描くイギリスの感じとはだいぶ違う印象を持ちました。

その理由を少し考えてみたのですが、林望は国文学(日本文学)が専門で藤原正彦が自然科学の数学が専門であったことも原因のひとつだと感じました。
あとは「学ぶ」と言う目的ではなかったこともあると思います。
私の周りには中国に留学したりした人もいますが、基本的に「学びに行く」という立場なので藤原さんとは同列で比較することは出来ません。

林望も家族連れで渡英しましたが、(程度には差がありますが)子供が学校に馴染めない、という経験を藤原さんと同様にしています。
やはり親の心が子育てにも表れるようで林望が担任の先生を信頼し細やかな交流を持って危機を乗り切ったのとは対照的に、藤原さんは息子さんにも「やられたらやり返せ」と厳しく接します。
そこにもやはり気負いが感じられました。

藤原さんのような人と自分とを一緒にするのはおこがましい限りですが、私も子育てしながら家族の都合に合わせて仕事を選んできたのですけれど、職場を変えるたびに「主婦だからって何も出来ないと思うなよ」と言うような、変に肩肘を張って暮らしていた時期がありました。
多分、これは自分の性格に拠るところも大きいと思うのですが、そういう時はなんとなく周りと上手くやれなかったり、頑張りすぎて空回りしたものです。
ただ、そういうときは自分自身「舐められないように」頭を使います。
年取ってからの「(若い者に)舐められないように」はちょっと迷惑な気がしますけど、若いときだったら許されるのではないでしょうか。

そんな「気負い」で凝り固まっていた藤原さんも日本に帰国するときには「(あえて言いますが)イギリス人」との別れを惜しみます。
そのときには当初あったような「気負い」は全く感じられませんでした。
1年前の単なる「イギリス人」ではなくなっていたように感じました。

このエッセイは「数学者」としての立場で書かれています。
職業としての数学者というのは、私などにはまるで縁のない世界のことではありますけど、すごく人間らしいところが率直に書かれているのが非常に親しみを感じられるところでした。
そして、いわゆる「文系」といわれる人たちは、こう言うのを多く著したりしていますけれど、「理系」と言われる人たちはあまり多くを語らないように思います。
そういう意味で読んでみてよかったと思える本でした。

春の童話

《春の童話》(遇羅錦:著 押川雄孝・宮田和子:訳 田畑書店1987年)

先日、図書館でセミナーがあったのでその待ち時間に見つけました。
遇羅錦の両親は右派とされ、その兄遇羅克も27歳で文革のさなかに銃殺刑になりました。
あの時代の中国では大変生き難い立場であったことが分かります。
生きてゆくために愛の無い結婚をし、その生活の中で下放された知識人の青年と親しくなります。
彼女にとっては初めての恋でした。
そしてやっとの思いで夫と離婚してその青年と一緒になれると思った矢先、その青年から別れを告げられます。
理由は彼女が再婚であることと、おそらく彼女の出身にも問題があったと思われます。
そこでいわゆる「封建的」な思想に支配されつつも、文革のような思想もあるという矛盾を取り上げたと言えなくもないと思います。
でも、その筋立ては今の時代から見れば(時代背景は強烈なものがありますが)少々陳腐な内容で先が見えるものでした。
「小説」としてみれば、ですが。

でもこの作品に出てくる人のほとんどは実名で、遇羅錦の立場で見ると多分、すべて本当のことだと感じました。
これを「小説」と言えるかどうか・・・「私小説」にしても、もうちょっと脚色して作品として完成したものにするのが本来だと思います。
しかし彼女にしてみれば、これはやはり自分自身のありのままを書く必要があったのでしょう。
彼女にとって実話であったとしても、他の関係者にとって実話であるかどうかは分かりません。

この作品の社会に対する影響は巻末の「訳者あとがき」に詳しく書いてあり、作品自体よりもそちらのほうが私にとっては興味深く、あるいは作品だけを読んでも面白さはあまり分からなかったと思いました。
それから遇羅錦はお兄さんである遇羅克を慕っていたことがよくわかります。
ブラザーコンプレックス、という言い方が適当かどうか分かりませんが、そのように感じました。
尊敬するお兄さん、若くして非業の死を遂げたお兄さんがどんどん彼女の中で神格化されているように感じたので、彼女は初恋の人と別れたあと、次にどんな人を愛したのかちょっと興味があります。


フリーランスのジタバタな舞台裏

元SEで、現在は執筆活動をされているきたみりゅうじ氏(http://www.kitajirushi.jp/)のエッセイを読みました。

『フリーランスのジタバタな舞台裏』(きたみりゅうじ著/幻冬舎文庫)

本の内容はきたみ氏がサラリーマン生活を脱し、フリーランスの生活を始め仕事が軌道に乗るまでのあらましです。
きたみ氏は30歳で会社を辞め、これまで副業としてやってきたイラストや執筆活動を生業にすることにしました。
そして2年後ベストセラーともいえる本をかくことができた・・・という、結果だけ見ればサクセスストーリーなんですが、成功までの間に考えた焦りや葛藤は、期間の長短はあれ必ず通る道であるようです。

とにかく、私も身に覚えのあることばかりです。
仕事のめどが立たなくて、アルバイト求むのビラを見ては、1ヶ月の稼ぎの皮算用をするとか。
プログラマを辞めたのに、在宅でプログラミングの仕事を請けたら結構なお金になり心が揺らぐとか。
でも彼はここで思いとどまるのです。

「もしバイトをはじめたとしたら、確実に毎日四時間がそこに食われていくことになる。(中略)それではフリーランスになる前と、まるで何も変わっちゃいない。」

私は中国語で食べられるほどの力も備わっていない。
だけど中国語で何かしたくて、それには勉強しなくちゃいけなくて、でも勉強するにはお金がかかって、生活があって、子供もいるし・・・とまぁ、結局のところ「言い訳」なんですけれど、とにかくこの種のことには、ここ十数年間迷いっぱなし、と言っても過言ではありません。
迷って迷って決断できないうちに、いつの間にか今の状態。
それを後悔しているのか、と言われるとそうでも無い・・・多分私にはこれが精一杯だったんだろうと今は思うけれど、とにかく身につまされるのです。
そしてそういう考えに至った、きたみ氏は、自分にこう言い聞かせます。

「自分を大安売りしちゃいけない。少なくとも、まだそんな時期ではない。そう思い直した。」

一口に「そんな時期ではない」と言っていますが「そんな時期」が来る前に仕事が軌道に乗ったのはラッキーなだけでは決してないはずです。
ですので、もともとの器の違う私は自分を切り売りして食いつないできました。
切り売りせず、その場に飛び込んでいれば今とは違った生活をおくっていたかもしれません。
でも・・・分かりませんけれど、少なくとも私は、自分の環境と能力ではこれが精一杯だったと思います。
ゴールがあるとしたら、そこに至るまでの葛藤とどういう向き合い方をするかによって到達する場所が違ってくるのは間違いないと思います。
ただ、人生が面白いものだと思うのは、望んだ結果がその人の幸せと直結するとは限らないということ、たどり着いた場所が当初望んだものではなかったとしても、不幸とは限らないこと。
負け惜しみではなく自分自身の腑に落ちた時がゴールなんではないかと思うので、この本は単なる成功譚として捕らえず、きたみ氏の腑に落ちた結果がここであったことが分かります。
なぜなら、最後にこう書いているからです。

『ちゃんと自分の足下には、しっかりとした地面がある』



本を千年つたえる

『本を千年つたえる 冷泉家蔵書の文化史』(藤本孝一/朝日新聞出版)

もともと本そのものが好きで図書館の司書になりたいなどと思っていたこともあって、こういう本があるのを知るとつい手にとって見たくなり、購入しました。
冷泉家に伝わる写本がいかにして守られてきたか、いかにして伝わったかが仔細に語られています。

私が興味を持ったのが、自分の子や孫に本を与える親心でした。
今は子供に読ませたい本があると、書店や図書館で目的の本を購入、もしくは借りてきて与えますが、印刷技術が発達していなかった1000年前は写すより他ありません。
子供が男であったか女であったかによっても与える本が違っていて、それが奥書にかかれていたりします。
本を写すというのは、その作品を後世に残すと言う意味もさることながら、人間の営みの上に文化が存在していたことを示していると感じました。

また、本の保管についても虫がつかないように、火事にあっても燃えないように蔵に保管し、万が一火事になったときには屋根を壊して延焼を防ぐなど保管のノウハウも伝えるということで、千年もの長い間、このことが個人の力でなされていたことに驚きを感じます。
長い作品を書写すると言うのは非常に労力もかかることですので、それだけ心理的にも今の本とは比べ物にならないくらい貴重さを感じていたのかもしれません。

この本で特筆すべきは筆者が「写本学」という学問を提唱していることです。
私の理解ではこれも含めて「書誌学」だと思っていたのですが、筆者は

版本を中心とした書誌学と写本学の大きな相違点は、版本が複数あるのに対し、写本はただ一冊のみだということにある。子の違いは写本学をして学問としての成立を困難にしている大きな壁である。その壁は「曖昧性(fuzzy)」にある

としています。確かに広い意味では写本学も書誌学に含まれると思いますが、その本の成り立ちや性質が全く違うので分けて写本にのみ特化した学問ができても不思議はないかな、という感想を持ちました。

版本よりも写本の場合は偶然によって内容が変わる可能性が高いことが面白さだと思います。
版本の場合、著者などの意思が明確に入って意図的に変えられることが多いと感じますが、写本は書き写す側が意図しないところでの変化も多いと思います。
それが一つ一つ違うという曖昧さが「写本学」が成立しにくい理由であると私は感じました。

「写本学」というのは私にとって興味深いものになりそうだと感じます。
もしこれからもこの分野についてかかれたものについて注意をはらっていきたいと思います。


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