2008.08.16 中2の夏休み
皆様 こんにちは。
世の中は北京オリンピックと高校野球で盛り上がっておりますね。
我が家にはスポーツオタクがおりまして。
サッカーは言うに及ばす(4歳からサッカーをしていますから)、野球、テニス・・・などなど、どこで覚えてきたんだい?と突っ込みたくなるくらいルールに詳しい我が息子。
独自の解説も交えて語ってくれます。
TV観戦は時間的にままなりませんけれど、スポーツニュースなどで楽しんでおります。

・・・まぁ、そんな夏休みなんですが。
中学に入ってからめっきり勉強のやる気から遠ざかっていた息子。
当然ながら、今回の成績は惨憺たるものでした。
私も日ごろのテストの成績やらいろいろから察するに。
別の意味で『期待通り』の成績でした。

子:おれ、中卒で働こうかな。
私:働くのは結構なことだけど、みんなは勉強して知識を蓄えて社会に出るんだよ。そんなみんなと社会に出てから、やっていかなきゃならない。勉強が嫌いなら職人になって手に職つけな。
あと、生半可な気持ちで仕事はすんな。勤めるならどんなにつらくても5年はそこで頑張りな。
分かるよね、高校3年間プラスα分だよ。

・・・と言う会話があったあと。
塾で、先生と話したり。
部活の顧問の先生と話したりしていたようです。
そうしたら。

子:おれ、やっぱり高校行くわ。部活やめて勉強する。

本当に部活を辞めてきやがりました。

しかし勉強すると言ってもそもそも基礎が出来てない子にとっては全てが苦痛の元。
それでも、これまでサッカーをやっていた時間をダラダラながら勉強に振り分けている様子。
夜は夜で問題集を私の前で少しずつ進めております。
集中してやれ、というのは簡単ですが、集中力とかやる気ってのはやっているうちに出てくるものでもあるようなので、とりあえず勉強に取り組もう、自分の時間を振り分けようとしている姿勢を評価しております。
勉強は相変わらず嫌いで、デスクワークは嫌、将来はどこか田舎で畑をすると言う息子。
座り続けることにも疲れるのか、気分転換と称して、お昼ごはんを作ってくれたり(・・・と言ってもうどんだったり、スパソースを絡めただけのスパゲティ)、私が帰るまでに洗濯物を取り込んでくれており、働くお母さんとしては助かることしきり。
生活が落ち着いてきたのは正直うれしいものです。

子はかなり軽度ではありますが、てんかんという病持ち。
その成長に関しては心配もいろいろあります。
中学を卒業したら、高校に行くにしろ働くにしろ自分で自分の居場所を作っていかなきゃならない。
親がしてやれることは、あんたの人生のごく一部だと言って育ててきたので。
どんな道を選ぶにしろ、体調に気をつけて逞しく生きていって欲しいなぁ、と言う気持ちを新たにしました。

2008.08.11 ある記録
みなさま こんにちは。
お盆休みはいかがお過ごしですか?
今年の夏は暑いですし。
どこに行っても人がいっぱいだろうから外に出る気も起きず。
仕事の帰りにぶらぶらと本屋に寄り。
購入したのが、《文藝春秋》
何が目当てかって言うと、先般発表された芥川賞受賞作品である楊逸氏の『時が滲む朝』。
えっと・・・ハードカバーで購入すると・・・たしか1700円くらいだったかと思うのですが。
これを購入すれば790円で済む・・・というみみっちい考え(笑)
そのほかにもいろいろと記事が読めて、お得感満載。
そういうわけで、平積みにされていた同著を尻目に《文藝春秋》を購入してまいりました。

・・・ってわけで、目当ては楊逸氏の作品だったのですが、そのほかにも興味深い記事がありました。

それは戸塚洋二氏・・・東京大学特別名誉教授で7月10日にがんでお亡くなりになった方のブログ記事でした。
戸塚洋二氏の告別式でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が弔辞を述べておられたのは私も報道で知っておりました。
その戸塚氏がブログで自らのがん闘病記をつづっていたと言うのです。
その内容は薬の内容からその副作用のこと。
御自分の病気に関するデータや。
それに関する自分の心情の変化。
そして御自分の研究について、科学政策についてなどにも意見を述べておられます。

私は、それらにざっとではありますが目を通しまして。
こういうことが書けるのはブログならではだな、と言う印象を持ちました。
書籍であれば、テーマがもっと限定されていたでしょう。
個人の日記であれば、もっと内容がプライベートに傾いたり、主観におぼれてしまったことでしょう。
しかし、ブログと言うツールは個人的なものでありながら、やはり読まれることを意識せざるを得ないものです。
そうであるからこそ、内容に適度な客観性を保つことが出来たのでしょう。
それは書き手の教養によるところが大きいかとも思いますが、この「客観性」が書き手の心の負担を些かなりとも軽くしたのではないかと思います。

ブログやネットについて虚実混同などと断じて、凶悪事件などが起こると、それを理由にしさえすれば全ての説明がつくかのような意見を見るにつけ。
結局、ツールを使うのは人間であって。
ツールに全ての理由を求めてしまうのは危険なのではないかなぁとの思いを深くしていた私にとって。
こういう「ブログならでは」という情報の発信方法を見ると、これも1つの答えだなぁ、と思うのです。
新しいツールを人間が手懐けるにはまだまだ長い試行錯誤が必要ですが。

★戸塚洋二氏のブログ
The Fourth Three-Months
2008.08.10 身心快楽
みなさま こんにちは。
北京オリンピックが始まりましたね。
現在我が家は息子の学業優先のため、「禁電視」
・・・な〜んて言うと、すごく教育熱心のようですが。
こうでもしなければ埒が明かない勉強大嫌いな息子を持ったので仕方ないですね(笑)
それでも、録画で一部は見ることが出来ました。
もうちょっと感慨深いかなぁ、と思いましたが。
思ったより淡々と見てました。

ところで、先だって武田泰淳について書いたので、早速取り寄せて読んでみました。
そのうちの一冊。

『身心快楽 武田泰淳随筆選』(講談社文芸文庫 川西政明・編)

武田泰淳と言えば『司馬遷』というくらい、私の中ではこの著書が大きいのですが。
どちらか言えば、読みやすいと思われる随筆集から入ってみました。

これを読んでの印象は、『魯迅』を発表した竹内好(東京帝国大学の友人)と、好対照だと思いました。
本書に収められている"竹内好『魯迅』解説"の中でも、泰淳は

彼の歩行を芝白金の路上に認めるや、私が「おい、中国文学が向こうから歩いてくる」と同行の友人に語ったくらい・・・(以下略)

と言うくだりがあります。
竹内好が中国文学に全身全霊をかけていたというイメージが私の中ではありますが、武田泰淳にとって中国文学は彼の中の一部、と言う気がしました。
勿論、彼は『司馬遷』のようなものを書きましたが、その前に小説家であったんだなぁとも思いました。
しかし、それを差し引いても当時の中国文学研究の一翼を担った人であることには違いない。
戦中、派遣された中国から竹内好らに雑誌の感想を書き送ったりしています。
ちょっと厳しい感想などを忌憚無く書き送っているところを見ると、武田の目を竹内好らも尊重していたことが伺えます。

全編を通して感じたことは、彼の人間としての生真面目さと、それを客観的に見ている武田泰淳自身の軽やかな感じが私にとっては魅力的に映りました。
皆様 こんばんは。
源氏物語の写本が新しく発見されたというニュースがありましたね。
私は確か、NHKのニュースで見たのですが、思わず「え〜!!」っと声が出てしまいました。
新しい写本の発見で、しかも、今までの内容とは違う部分もあるとのこと。

どこが違うんだろう?
どうして歴史のなかに埋もれていたんだろう。

・・・妄想がつきません。

しかし。
それにしても。

千年紀というこのタイミング。
記念の年にふさわしい発表だと思います。
もしかしてずっと温めていたのかぁ・・・などと思ってしまいます。

どちらにしても、この発見によって写本の柱がもう1つ出来たということで。
もしかして、現代語訳もそれに沿ったものが出たら、面白かろうなぁ。
今後の研究が楽しみです。
皆様 こんばんは。
今週末は大学の中国言語文化研究会に参加してきました。
京都の街は祇園祭シーズンってこともあって非常ににぎわっていました。
その模様は写真と共にこちらにアップしましたのでご覧ください。

今回の研究会の発表内容は。

1.『方方の武漢弁使用再考』

方方(1955.5〜)は武漢出身の女流作家です。
この時期の知識人にしては珍しく文化大革命中の下放の経験は無いそうです。
長じて湖北電視台で編集の仕事に携わりつつ作品を発表。
当初は武漢弁を使うことは無かったそうですが、『落日』で全編武漢弁の作品を発表しました。
その意義について論じられたものです。

中国語は普通語という共通語があり、日本語と違って方言を話されるとその地域以外の人は分からないといわれていますので、どの程度取り入れたのか、ということに興味があります。
現代においても方言を使って、いわゆる「その人らしさ」を描き出す手法はあると思います。
方言である以上、口語であるという制約は払拭することはできませんので、主に地の文ではなく会話文で取り入れたとのことでした。
方方は生粋の武漢人ではなく、それもあって当初武漢弁を作品に入れることに躊躇したのではないか、と論じられていました。
・・・例えば私は名古屋っ子ですが、他の土地の人が名古屋弁を真似て話しているのを聞くと、あまり好い気はしませんから、そういう遠慮は普通にあると思います。
しかし、ある時期以降あえて方言をつかったということは武漢の情報発信という意味で意義があると思われる、とのことでした。

2.『画師呉友如の創作意識について』

呉友如というのは蘇州出身の新聞画師です。
『点石斎画報』という新聞の挿絵を書くのを生業としていました。
その『点石斎画報』というのはErnest Majorという人が経営しており、西洋人であるがゆえ新聞画師にも西洋的なリアリズムを求めたそうです。
そこで白羽の矢が当たったのが呉友如。

中国の伝統的な画風はシンプルな線で描かれます。
しかし西洋的な画風は遠近法や陰影法などを使って、より写実的に見せるというテクニックがあります。
呉友如はErnest Majorの依頼にしたがって、そのテクニックを見よう見まねで身につけますが、稚拙である点は否めません。
それにしてもこの画師の後世に与えた影響は大きかったと論じられました。

私もこういう近代に向かいつつある中国の所謂「過渡期」と思われる時期に表れたこの画師は心中如何ばかりであったかということを感じました。
時期としては文学革命よりちょっと早く、1884〜1898年(創刊から停刊)までの期間のこと。
その時期に西洋とも東洋とも区別することができない、一種奇異に移映るものが表れるのは興味深いことでした。

最後に御大が李鋭の文学について講演をされました。
この講演で一番のテーマは李鋭を魯迅の共通性ということだと思いました。
でも、方方も武漢人である自分のアイデンティティを表現する方法として「方言」を使ったこととあわせ考えると、こういった「孤独感」というのは多かれ少なかれどんな人にもあると私は思います。
ただ、それに真正面から取り組んでいる人はいないのではないか、というのが論者の主張であるように思えました。


以上、3点でした。
私としては非常に興味深い内容でした。
画師の名前ははじめて聞くものだし、ましてや絵画の心得などまるで無いですし。
まったく新しい世界を見せてもらうという意味で研究会はいつも楽しみにしています。

時間の関係で懇親会には出られなかったのが残念でしたが。